『LOGAN/ローガン』感想とイラスト ヒーローの死に場所

映画『LOGAN/ローガン』ヒュー・ジャックマンのイラスト(似顔絵)

現実のスピードに追いつかれてしまったスーパーヒーロー。酒に溺れ、足を引きずり、目がかすみ、老老介護に追われるなか、ヒーローからひとりの男に戻った彼が求めたものとはいったいなんだったのでしょう?

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作品データ

『LOGAN/ローガン』
Logan

  • 2017年/アメリカ/138分/R15+
  • 監督:ジェームズ・マンゴールド
  • 脚本:スコット・フランク/ジェームズ・マンゴールド/マイケル・グリーン
  • 撮影:ジョン・マシソン
  • 音楽:マルコ・ベルトラミ
  • 出演:ヒュー・ジャックマン/パトリック・スチュワート/ダフネ・キーン/ボイド・ホルブルック

予告編動画

感想と評価/ネタバレ有

不死身の能力を失い始めたウルヴァリンことローガンが、自分と同じ能力をもつ少女を守るため最後の力を振り絞る姿を描いた、『X-MEN』のスピンオフ企画『ウルヴァリン』シリーズの第3弾にして最終章です。監督は前作に引き続きジェームズ・マンゴールド。

ウルヴァリンには興味ない

『X-MEN』の何がそんなに面白いのかさっぱりわからない。マシュー・ヴォーンがメガホンを取った『ファースト・ジェネレーション』にだけはこうべを垂れますが、『フューチャー&パスト』と『アポカリプス』は惨憺たる出来でしたし、旧シリーズに関しても右に同じ。

特にウルヴァリンの人気は自分にとってはまったく理解不能で、使用武器が長い爪だけの髭面男がなぜにこれだけちやほやされるのかわからず、スピンオフ企画である『X-MEN ZERO』と『SAMURAI』はいまだ未鑑賞。そんなボクでも『LOGAN/ローガン』には心惹かれた。

それは最初の予告編、伝説的カントリー歌手ジョニー・キャッシュの『Hurt』をバックに映し出される、一般的ヒーロー世界とは隔絶したかのような乾いた男の哀愁に魅せられたからであり、この予告編だけですでに泣きそうになっていた事実を恥ずかしながら白状しておきます。

「ヒュー・ジャックマンが17年にわたって演じ続けてきたウルヴァリンを卒業!」と言われたところでなんらの感慨もありませんが、幾多の死線をくぐり抜けてきた男の最期の花道には俄然、興味があったわけです。レイティングがR15+だというのもグッときたポイント。

現実に追いつかれたヒーロー

レイティングをR指定で製作するため、自らのギャラをカットしてまでこの映画に臨んだヒュー・ジャックマンの決意は、冒頭のヨタヨタ血祭り劇によってさっそく明確にされることに。従来のアメコミ映画ではおよそありえない、あまりにどんくさくて血まみれな幕開け。

治癒能力の減退により、すでに不死身ではなく老化の道をゆるやかにたどり出したウルヴァリン、いやさローガンが、飯の種であるリムジンを狙った強盗団をもたもたと撃退する姿には、かつてのヒーローとしての輝きはなく、老体に鞭打つ暴力の現実が刻まれております。

ここで映し出される、ショーアップされていないヒーローの暴力による結果の残酷さは、「従来のアメコミ映画と一緒にされてもらっちゃ困る!」という、監督ジェームズ・マンゴールドの、そしてヒュー・ジャックマンの決意表明にほかなりません。

スーパーヒーローと現実との相克。ゆえにローガンは終始足をひきずり、プロフェッサーXことチャールズはアルツハイマーをわずらい、そんなチャールズをローガンはぶつくさ言いながら老老介護しているのです。華々しいヒーローの戦いではなく、個人としての現実との格闘。

ウルヴァリンやプロフェッサーXというヒーロー名がほとんど用いられないのも、ヒーローとしてではなく人間としての彼らにスポットを当てたかったからでしょう。スーパーヒーローとしての力や役割を失い、現実へと引き戻された彼らに残されたものとはなんなのか?

アメコミ映画への危険な挑戦

老い、そしてその先の死という現実に追いつかれてコミックのなかの住人ではなくなったふたりと対を成すのが、ミュータントが誕生しなくなった世界で人工的に作られた能力者、かつてのローガンと同じ鉄の爪と不死身の肉体をもった少女、ローラなのであります。

彼女が行う直情的な人体破壊描写の外連のなさには正直度肝を抜かれました。先例である『キック・アス』のヒットガールにはまだ外連がありましたが、こちらは非常にストレートすぎて禁忌感が半端ではないのです。「やるからには手を抜かねえ!」という覚悟の表れですね。

そんな狂暴きわまりない未来の絶滅危惧種ローラと、ボケちゃった世界一危険な脳ミソの持ち主チャールズの面倒を見ながら、老いさらばえた自身の肉体に鞭打って決死の逃避行を指揮するローガン。奇妙な疑似家族の形成であり、ロードムービーの始まりでもあります。

狂気の人体実験の結果として生み出された人間兵器のローラを回収すべく、執拗に追っ手を差し向けてくる大企業トランシジェン。彼らの追撃をかわしながら、“エデン”と呼ばれるミュータントの聖地を目指して、メキシコ国境からカナダ国境へと移動を続けるローガンたち。

2029年という近未来設定でありながら、徹底して乾いた荒野が映し出されるビジュアルは西部劇の世界であり、突然『シェーン』が引用されているのも偶然ではありません。伝統的アメリカ映画の世界を持ち込みながら、とめどない拡大を続けるアメコミ映画に歯止めをかける。

クロスオーバーという名の連携、拡大、増殖によって延命を図る無節操なアメコミ映画を、縮小された個人の手へと取り戻す試みは、非常に野心的かつ危険な挑戦でもあります。従来のアメコミ世界から意識的に逸脱してみせた、実はそうとうヤバい映画だったような気もします。

男が求めた死に場所

それではこれまでのアメコミ映画を批判、破壊しにかかった爆弾映画なのかといったらそうではなく、それよりももっと根源的な、個としてのヒーローの在り方を模索した、アメコミ映画とアメリカ映画へのアンサーではなかったかと思います。それゆえに西部劇なのです。

やたらと国境が強調されているのも偶然ではなく、これが特殊化した全体主義による排他精神がまかり通り出した、現代アメリカに対するアンサーであったのは明白です。ゆえに集団としてのヒーローではなく、個としての人間にスポットを当て、その選択を問うたのです。

正義という名の戦いのなかで、敵味方を問わず無数の人間の死に関与し、身も心もボロ雑巾のようにカピカピに乾いて固まったひとりの男が、もがき、苦しみ、傷つき、逃げ続けた果てにたどり着いた変えられない人生の達観と、決意と、継承と、死に場所。

真のヒーローとはなんなのか?それは自分の手の届く範囲で、愛する人を、大事な人を、なんとしてでも守りたいと行動する勇気なのだと思います。そしてその行動の結果を受け入れる覚悟の必要性。『シェーン』が、西部劇が引用されていたのはこのためです。

正義という大義名分が意味をなさなくなった世界で、もはやスーパーヒーローではなくなったひとりの男が戦う意味。これはあまりに現実的で悲観的かもしれませんが、この映画唯一のファンタジーである娘への継承をもってなんとかヒーロー映画としての体裁は保っていたかと。

常に含みを持たせる、クロスオーバー全盛時代に逆行する潔い幕引きにも好感がもてます。ですので、エンドロール後のオマケ映像は今回はありません。17年間ローガンを演じ続けたヒュー・ジャックマンに対する花道としては、これが最良の選択だったでしょうね。

意欲は時に空回りする

とまあ、従来のアメコミ、スーパーヒーロー映画を大胆に逸脱した、非常に野心的な意欲作だったとは思うのですが、その試みがすべて機能していたかといったら正直疑問で、ときおり野暮ったかったり、無駄だったり、見当違いだったりしたのがなんとも残念でした。

まずヒーロー映画と西部劇、ロードムービーの親和性はけっして高いとは言えず、随所で不協和音が発していたような気がしますし、疑似家族形成の過程となるエピソードも貧弱で、特にローガンとローラの交流に盛り上がりがなく、ラストのセリフに説得力がないのですよね。

そのくせけっこうな長尺でやや冗長に感じましたし、ヴィランの存在感の薄さと、それを補うX-24の登場にも疑問です。これにはおそらくドッペルゲンガーの意味合いも込めていたとは思うのですが、過去の自分の鏡像という意味ではすでにローラがいたのですよね。

過去の自分との対峙という意味はすでにローラの存在によって成立しているので、このX-24の存在はどうしても蛇足に思えるのです。これらの不満点も総合して考えてみますと、「意欲は買うけど必ずしも成功はしていない空回り作」というのがボクの正直な評価です。

まあもともと『X-MEN』シリーズにも、ウルヴァリンにもまったく思い入れのない門外漢ですので、長年このシリーズを熱意をもって追いかけてきたファンの方々とは立ち位置が異なるのですが、狙った方向は良かっただけにこの命中率の悪さがどうしても気になったのですね。

しかし、前述しましたとおりヒュー・ジャックマン最後のウルヴァリン映画としてはこれで最良の幕引きだったと思います。長年ひとつの役を演じ続ける苦労は並大抵のことではなかったでしょう。ボクが言うのもなんですが、ヒュー・ジャックマン長いあいだご苦労様でした。

ウルヴァリンという呪縛から解き放たれたあなたのこれからの活躍、こそっと草葉の陰から気張りながら見守っておりますよ♥

個人的評価:5/10点

大人のヒーロー映画の感想はこちら

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コメント

  1. えるぼーロケッティア より:

    本作は予告からして混乱していました。
    ミュータント達が激減しているという点がどうにも飲み込めませんでした。
    というか、この映画をやりたいがためにそれだけの思い切ったことを
    したようにも思えます。

    でなければフューチャー&パストでなんのために最悪な未来を回避したのかって
    なりますし、シリーズはまだまだ継続するからです。
    おそらくはヒュージャックマンに花道を用意するためにシリーズの流れをぶった切る
    ような設定を持ち込んだのだと思います。
    なので、パラレルワールド的な位置にある作品なのでしょう。
    X-MENシリーズは時系列とか整合性が相変わらず滅茶苦茶ですね。

    そういった部分を飲み込めば、おっさんがふらふらと、幼女が俊敏にチョコマカと
    敵を凄惨に切り刻むアクション含め楽しめる部分はありました。

    旅を介して子供とおっさんが心を通わせるなんてのも設定的に好みです。
    しかしながらスパイクロッドさんの指摘どおりこの2者の交流シーンが希薄でした。
    どちらかというとチャールズにそこらへんを割いてしまっていた気さえします。
    もっと、ローガンとローラが最初はギクシャクしながらも親子になっていく
    様を丹念に描いてほしかったです。
    ローラが実は言葉も話せたという設定もがっかりです。
    非人道的な実験の日々のせいで世間知らずで言葉もまともに話せない少女の設定の
    ままでよかったと思います。
    ローガンが不器用ながらも旅の道中、一生懸命に言葉や常識を教えて心を通わせる
    というのがみたかった。
    それでチャールズからこっそり「ダディ」というワードを教わって
    道中色々あって呼ぶことが出来なくて最後の最後にやっと
    「ダディ」と呼べばラストで白けていた僕は泣いていたかもしれません。

    なんなら途中の農場のシーンも要りません。
    チャールズの「久しぶりに本当に楽しい夜だった」というのも
    男所帯にローラが加わり彼女とローガンと旅ができて
    「久しぶりに楽しい時間をすごせた」と旅の車中で言うのでよかったのでは。

    本当に色々惜しいと思います。
    素材はとってもいいのに。

    • スパイクロッド より:

      えるぼーロケッティアさん、コメントありがとうございます!

      これまでのシリーズとつながっているようでつながっていない、やはりヒュー・ジャックマンのために用意された男の花道映画だったのだと思います。「X-MEN」という存在をある種メタ化したのもそのためでしょうね。あれはコミックや映画の世界の物語であり、こっちが現実。だからつながっているようでつながっていない、つながっていないようでつながっている、苦肉の策なのだとも思えます。まあこれで一回リセットって感じもあるかもしれませんが。

      シリーズの流れからはなかば独立したヒュー・ジャックマン最後のウルヴァリン映画。えるぼーロケッティアさんがおっしゃるとおり、素材は良いのになんとも惜しい作品だと思います。とりわけ疑似家族が形成されるロードムービーパートが惜しいですよね。ローガンのチャールズに対する想い、チャールズのローガンに対する想いは非常に丁寧で、ともに苦痛を知る男同士の老老介護映画としては素晴らしかったと思います。しかしやはり問題なのはローラの扱いですよね。おっしゃるとおり彼女が言葉を話せたというのはがっかりでした。もっとこう、人外と言ってもいい彼女を人間らしくするための疑似家族形成ドラマを紡いでほしかったですね。その結果の「ダディ」であればボクも泣けたかもしれません。結局あの言葉にそれだけの重みと意味がないのですよね。本当に素材はいいのに惜しい作品だと思います。

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