11人の登場人物が織りなす11分間の人生模様。彼らの運命がひとつに収斂されるとき、すべての謎が、意味が、啓示が放り投げられるのだ!群像サスペンス?んなもん知らねえよ!
作品情報
『イレブン・ミニッツ』
11 minut/11 Minutes
- 2015年/ポーランド、アイルランド/81分
- 監督・脚本:イエジー・スコリモフスキ
- 撮影:ミコワイ・ウェブコウスキ
- 音楽:パヴェウ・ムィキェティン
- 出演:リチャード・ドーマー/パウリナ・ハプコ/ヴォイチェフ・メツファルドフスキ/アンジェイ・ヒラ/ダヴィド・オグロドニク/アガタ・ブゼク/ピョトル・グウォヴァツキ/ヤン・ノヴィツキ/アンナ・マリア・ブチェク/ウカシュ・シコラ/イフィ・ウデ
予告編動画
解説
我々の人生なんて画面右上についた黒いシミ、いやハエのクソにしかすぎないのかもしれないという群像サスペンスです。
監督は第73回ヴェネツィア国際映画祭で生涯功労金獅子賞を受賞した『アンナと過ごした4日間』のイエジー・スコリモフスキ。名前がややこしくていつも間違えちゃいます。出演陣は誰ひとり知りませんが、ポーランドを代表する俳優さんたちなのでしょうかね?
あらすじ
午後5時を告げる鐘の音。慌ててベッドから飛び起きる男。彼の妻は女優で、優雅なホテルの一室で怪しい映画監督との面接に臨んでいた。嫉妬深い男は妻の動向が気になり、映画監督の部屋があるホテルの11階へと急いで向かう。
そのホテルの前ではホットドッグ屋が営業しており、彼の息子であるバイク便の配達人は情事の真っ最中。ホテルの一室でポルノ映画を観ている登山家の男女。橋の下の画家。救急車で現場へと向かう女性医師。強盗を画策する少年。犬を連れた女。
空には正体不明の黒点が。彼らの頭上には旅客機が。午後5時から5時11分までの11分間。一見すると無関係な彼ら11人の日常が、思いもよらない結末へと収斂していくのであった……。
感想と評価/ネタバレ多少
ひとりの男が純粋に生きようとする姿と死ぬことを見つめた『エッセンシャル・キリング』から5年。イエジー・スコリモフスキが帰ってきました。御年77歳とは思えないとがりにとがった若々しさで。なんとまあ喜ばしいことでありましょうか。
しかしそのあまりにとがった尖鋭性ゆえ賛否両論が渦巻いており、ボクと同じ時間を共有したはずの初老のおじさまも、「くだらねえ!」と吐き捨てるように劇場をあとにしておられました。うんうん。わかります。くだらない映画ですよね。
でもここで断言しておきます。ボクのなかでは現時点での2016年ベスト映画です!先日の『シン・ゴジラ』をあっさりと抜き去ってしまったベスト映画なのです!くだらないけど素晴らしい!いや、くだらないからこそ素晴らしいのです!
「11」の意味
スコリモフスキの長い映画監督キャリア(17年間のブランクはあるが)のなかで初となる群像劇。11人の登場人物が11分間で織りなす人間模様と、ちょうど11分後に訪れる人生の交差点。この映画にはいくつもの「11」があふれております。
監督はこの「11」という数字に特別な意味はないと申しております。しかし皆さん、映画監督の言うことを信用してはいけません。自作のテーマをベラベラと喋り倒すクソ野郎もいれば、巧妙に隠匿してしまおうとする恥ずかしがり屋さんもいるのです。
よってスコリモフスキ本人がなんと言おうがこの「11」には意味がある。その意味はこの映画を観た方なら誰しもが気づくことでしょう。ビルのあいだを低空ですり抜けていく旅客機。この不吉な胸騒ぎが象徴するものはかの悲劇以外にありません。
思いがけない時、場所、タイミングで訪れる運命の終着点。我々日本人にとってはかの災厄もまた想起されることでしょう。現代における不吉の象徴は「11」こそがエースナンバー。不吉な予兆。不穏な空気。そんなシグナルが氾濫した映画。
不吉なノイズ
「11」という数字だけではなく、その不吉さを象徴する低空飛行の旅客機とともに、空に浮かぶ黒い点、ヒビの入った腕時計、壁の割れ目を這い上がっていく水、シャボン玉、風に揺れるカーテン、割れる鏡、キャンバスのシミ、シグナルの数々。
意味のわかるもの、まったくわからないもの。これらは単なる映画内のノイズであり、彼らの人生のノイズであり、ノイズであるがゆえに我々観客の心をかきむしる。巨大な十字架を背負ったキリストらしき人物もチラッと画面を横切ったりする。
これらのノイズに気づく者、気づかない者。それが意味するものは?これに関する的確な解説を頭の悪いボクに求められても知恵熱が出ますが、はっきり言ってしまいますと、意味は求めるべきですけどそれに固執してはいけないということ。
そこにこだわってしまうとこの映画は、冒頭で紹介した初老のおじさまと同じく「くだらねえ!」で終わることでしょう。意味がわかるに越したことはありませんが、わからなくても問題ありません。くだらないノイズの不吉さを感じることができれば。
肩透かし映画
同じく使えるものはなんでも使ったといえる映像技術、劇伴と融合している音響、自由自在な時間の流れについても、不穏な映画を彩る不吉なノイズであると言えるかもしれません。その演出意図を正しく理解できなくても心に引っかかればよい。
異なる映像メディア。極端な仰角と俯瞰。クローズアップ。11階のリンチ的な悪夢の迷宮。高速度撮影。日常の喧騒。それがやがて激伴と融合する接点。早く、ゆるやかに、自在に変換していく時の流れ。いびつに構成されていく編集。空に浮かぶ黒点。
あえてわかりにくく、曖昧に、不穏に、不快に、そして挑戦的に撮影、編集されているとしか思えない意地悪なこの映画。このいけずをプレイとして楽しむことが出来るか否か。整合性を求めてしまうと壮絶な肩透かしを喰らってしまうのは必至です。
群像サスペンスではない?
群像劇にはある程度のセオリーというか、いくつかのパターンがあります。そのひとつは、複数の登場人物の人生が複雑に交錯しながら、ラストのある局面によってひとつに結ばれ、なんらかの浄化や救済、はたまた啓示が表れるというもの。
代表的なのはアルトマンの傑作『ショート・カッツ』。そしてそれにオマージュを捧げたPTAの『マグノリア』。この『イレブン・ミニッツ』もその系譜と言えそうで言えないところが肩透かしのミソ。これがこの作品の評価をややこしくしています。
群像劇としてのセオリーを、サスペンスとしての体裁を拝借しているだけで、中身はまったくの別物と言ってもいいかも。そういう映画だと観客に思わせ、それらしい伏線や謎を提供しておきながら、最後の最後にペロッと舌を出しながらハシゴを外す。
掘り下げられない人物の内面。交わりそうで交わらない関係。放置された伏線。思わせぶりな描写によりなんらかの必然性を自然と求めてしまう我々をあざ笑うかのように、これは平凡な日常で偶発的に発生したバグでしかないと言い放つちゃぶ台返し。
しかもその偶発的な人生のちゃぶ台返しを、露悪的ともいえるエンタメ精神である種のギャグとして放り投げてしまった鮮烈なるバカっぷり。なんという残酷で美しい清々しさ。でもこれが我々の人生であり、時間であり、運命ではないのでしょうか?
俺たちゃ皆ハエのクソ
思っていたものと、観たかったものとは違うものを見せられた。人を小バカにしたくだらなさで。ゆえに冒頭のおじさまのように憤慨される方も多数おられるでしょうが、我々人間の人生なんてくだらない画面のノイズ、バグみたいなものなのですよ。
だからこそこの時間は尊く、かけがえのないものだったりするのです。くだらないからこそ素晴らしい。ゆえにこの時間を、限られた一瞬を精一杯生きろと。これはスコリモフスキなりの終活であり、逆説的人生賛歌だったのではないでしょうか?
しかしそんなくだらない人生を適当に演出している存在がいるのかも?空に浮かぶ黒点。巨大な十字架。「何も改めることはできない」という唐突なメッセージ。無数のモニター。思えば見られているという感覚が終始つきまとう映画ではあった。
しかしそんな超越者的視線もまた映画のノイズに、我々の人生のバグにすぎない。すべてはハエのクソのような黒いシミでしかありません。だからこそ生きる価値があるとボクは思ったりするのですが、やはりこれって少数意見なのでしょうかね?
個人的評価:9/10点
DVD&Blu-ray
VOD・動画配信
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コメント
はい。少数意見です。
あなたの仰るノイズだけでなく登場人物たちが誰一人必要でなく、そもそもこの映画の存在自体が「ハエのクソ」、ひいては人生そのものが「ハエのクソ」。まさにハエのクソを堪能させられたような後味でした。
確かに私の人生はハエのクソのようなものかもしれませんが、であるとしてもこの映画は見たくない。タイトルすら目にしたくない。そんな映画でした。
本当に面白いと思ったのですか?不思議です。
さえこふさん、コメントありがとうございます!
やはり少数意見ですか。おっしゃるとおり、「ハエのクソ」を「ハエのクソ」として楽しめるかどうかの映画なわけですから、さえこふさんの感想が多数派であり、ボクの感想は少数派なのですよね。ボクは「ハエのクソ」であるからこそ面白いと思ったわけですけど、大多数の人はそんなクソに安くはない金と長い時間をとられてありがたがるわきゃありません。本文の冒頭で紹介させていただいた素直なおじさまの反応こそが普通なのでしょう。でもボクは本当に心底面白いと思いましたよ。不思議でしょうけど(笑)。