『怪物はささやく』感想とイラスト お行儀のいい悪夢

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映画『怪物はささやく』のイラスト

つらく苦しい現実に絡めとられた少年の前に現れた内なる怪物。若き日に誰しもが抱える矛盾と、苦悩と、葛藤を描いた通過儀礼。いい話だ。いい話だとは思うが、絶対に最後のエンディング曲はいらないと思うぞ!

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作品データ

『怪物はささやく』
A Monster Calls

  • 2016年/アメリカ、スペイン/109分
  • 監督:J・A・バヨナ
  • 原作・脚本:パトリック・ネス
  • 撮影:オスカル・ファウラ
  • 音楽:フェルナンド・ベラスケス
  • 出演:ルイス・マクドゥーガル/フェリシティ・ジョーンズ/シガニー・ウィーヴァー/トビー・ケベル/リーアム・ニーソン(声)

予告編動画

感想と評価/ネタバレ有

日々病魔に蝕まれていく母親とふたり暮らしの13歳の少年のもとに、夜な夜な巨木の怪物が現れてある物語を聞かせてくるというダークファンタジーです。原作はパトリック・ネスのベストセラー児童文学で、監督は『永遠のこどもたち』のA・J・バヨナ。

普遍的な寓話

原作未読ながら、予告編のイメージと『パンズ・ラビリンス』級のダークファンタジーという思いきった大風呂敷によって、早くから観に行くことを決めていた『怪物はささやく』。それ以外の予備知識はほとんど頭に入っておりませんので、それはそれはまっさらの状態。

リーアム・ニーソンが怪物の声を演じているということぐらいは知っておりましたが、主人公の母親役に『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』のフェリシティ・ジョーンズ、父親役に『キングコング:髑髏島の巨神』のトビー・ケベル、そして祖母役にあのシガニー・ウィーヴァーまで出ているとは、なにげにキャストが豪華でびっくりいたしました。

しかし主人公のコナー以外は役名がなく、それぞれ「母」「父」「祖母」「怪物」としてだけクレジットされているのは、この物語が普遍的な寓話であることのあかしなのでありましょうな。子供時代の終わりとしての通過儀礼を描いた教訓話というわけです。

生真面目なのも考えもの

癌に侵され余命いくばくもない母親とふたり暮らしの13歳の少年コナー。母と離婚した父親とは疎遠であり、厳格な祖母とは馬が合わず、学校ではイジメの対象であり、毎夜のように悪夢にうなされる日々を送っていた。そんな彼のもとに、ある日を境に巨木の怪物が現れる。

それはコナー家の裏庭に面した墓地に生えるイチイの巨木が怪物化したものであり、「これから3つの物語をお前に話す。それが終わったら今度はお前がお前自身の真実の物語を話せ」と詰め寄り、拒否するコナーを無視して不思議な物語を話し始めるのだった……。

過酷な現実にがんじがらめな少年の目の前に、必ず12時7分になると現れる不気味な怪物。もったいぶった引き延ばしなどもなく、さも当然のように登場してくるその雄姿は完全なる夢の世界であり、ここには現実なのか夢なのかよくわからない曖昧さは存在していません。

コナーが見る怪物の夢は矛盾した現実を直視するための軌道修正装置であり、逃避場所や夢の浸食を描いていないあたり、この映画がかなり生真面目に作られていることがうかがえます。「もっと汚く残酷にふざけてくれよ!」と思うのはボクの心が腐っているからでしょう。

性根の腐った変態にとってこの映画はダークファンタジーとは似て非なるものであり、その体裁だけ借りた生真面目な教訓話といった感じが妥当なところでしょうか。真面目に越したことはありませんが、それゆえに物語の広がりが乏しいのが難点だと思います。

矛盾を受け止めるたしなみ

それではこの映画が提示していた教訓とはなんなのでしょう?それは矛盾した現実を受け止めるという大人のたしなみです。物事とはそう単純に割り切れるものではなく、裏と表、明と暗が常に複雑に絡み合ったカオスであるという現実を受け止める覚悟。

イチイの怪物が聞かせる物語は、すべてこれらの矛盾を表したものです。人の、物事の、想いと行動の結果の矛盾を突きつける教訓話。それはコナーの置かれている現実にも突き刺さります。祖母の厳格さと愛情、父の寛容さと弱さ、イジメの構造、そして母への複雑な想い。

このイチイの怪物がコナーの内なる怪物の象徴なのだとしたら、実はコナー自身かなり早い段階でこの矛盾に気づいていた節がうかがえます。しかしその矛盾した現実を受け止めるには彼はまだ幼すぎて、その反動としての破壊衝動、そして罰を無意識に求めていたのです。

しかしこの罰を求める無意識を、イジメのきっかけに当てはめてしまったのはいかがなものでしょうか?イチイの怪物が語る第3の物語とイジメの構造が、この映画においてどこか宙ぶらりんな存在として据え置かれてしまったような印象が残ったのは、ひどく残念です。

みんな悩んで大人になった

無意識のうちに自分を強く罰したいと願う衝動。それはコナーの内なる矛盾に基づきます。母の完治を望む強い願いと、もう終わらしてあげたいと思う正直な心と、この状況から自分自身が早く逃げ出したい苦痛。とがめられるものではない誰もが抱える矛盾した心の葛藤。

我々大人がたしなみとしていつしか受け入れていた人生の矛盾を、子供でも大人でもない中間地点の少年が苦しみ、嘆き、もがき、暴れ、破壊と焦燥の果てにようやく自分自身を許し、素直に母に「行かないで……」と伝えるまでの成長譚。うん、いい話だと思います。

ラストの継承の種明かしも良かったと思いますし、ここでようやく真のファンタジーに昇華されたような気がしますね。ダークではありませんけど。これはもう表層だけでして、ホントに普通のちょっと説教臭い心温まる家族のドラマだったと思いますよ。良くも悪くもね。

行儀の良い平均点映画

良くも悪くもこちらの想像を裏切らない、はみ出さない、暴走しない、生真面目で説教臭い普通のいい話だった『怪物はささやく』。もっと内なる怪物の暴走を期待していた性根の腐ったゲス男にとっては、少々行儀が良すぎる平均点映画だったかもしれません。

ほぼ『ガーディアン・オブ・ギャラクシー』のグルートであるイチイの怪物の造形にしても、もっと醜悪さや恐怖が欲しかったところですが、これは内なる怪物とは名ばかりの家族間の継承、ようするに慈愛の産物であり、教え導く存在だったのは致し方ないところでしょう。

怪物が語る物語を水彩画風のアニメーションとして演出したセンスも素晴らしく、このパートだけは純粋なるダークファンタジーとして称賛するべきなのですが、前述した第3の物語では突然この手法を封印しており、壮絶な肩透かしを喰らった恨みはけっこう大きいのです。

現実、VFX、アニメパートの比率がもっとバランス良かったり、もしくは互いに浸食し出してカオスに突入していたらボクの評価は逆転していたでしょうが、それこそ別の映画になっちゃいますからね。これはもう『コングレス未来学会議』を観て充足させておきます。

それとこんな映画のエンドロールで突然ポップな曲を流すのは興ざめなので絶対にやめときましょう。キーンは嫌いじゃないし、この『Tear Up This Town』という曲も悪くはないけど、この映画のエンディングには絶対に必要ありません!余韻ぶち壊しです!

とか言いながら、曲は良いので聴くだけは聴いてくださいな

『ジュラシック・ワールドII』へ向けて

『永遠のこどもたち』『インポッシブル』そしてこの『怪物はささやく』。ホラー、実話、ファンタジーとジャンルは違えど、常に家族の問題を描き続けてきたJ・A・バヨナという監督。ビジュアルセンスには確かなものがあるだけに、あとは良い脚本次第でしょうか?

このまま家族のドラマにこだわり続けながら、もうちょっと羽目を外して、次回作『ジュラシック・ワールドII』へと望んでほしいと思います。このままいったら無難な職人監督で落ち着いちゃいそうなんですよね。そのためにはまずG指定からの脱却、R指定への突撃だ!

個人的評価:5/10点

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