英国が誇る世界的ロックバンド“クイーン”。リードヴォーカルであるフレディ・マーキュリーの苦難と栄光と救いの半生を軸に、彼らの楽曲とパフォーマンスを完全再現してみせた疑似体験映画。これは入り口だ。君たちへの入り口映画なのだ。ようこそ!ワールド・オブ・クイーンへ!
作品情報
『ボヘミアン・ラプソディ』
- 原題:Bohemian Rhapsody
- 製作:2018年/イギリス、アメリカ/135分
- 監督:ブライアン・シンガー
- 脚本:アンソニー・マクカーテン
- 撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル
- 音楽:ジョン・オットマン
- 出演:ラミ・マレック/ルーシー・ボイントン/グウィリム・リー/ベン・ハーディ/ジョゼフ・マゼロ
参考 ボヘミアン・ラプソディ (映画) – Wikipedia
予告編動画
解説
イギリスを代表する世界的ロックバンド“クイーン”の伝説を、ボーカリスト、フレディ・マーキュリーの壮絶な人生へとスポットを当て、バンド結成から1985年のライヴエイドまでの軌跡を追った音楽伝記映画です。
監督は『ユージュアル・サスペクツ』のブライアン・シンガー。でしたが、撮影終盤のトラブルによって降板。『イーグル・ジャンプ』のデクスター・フレッチャーが代役を務めてなんとか完成へとこぎつけました(全米監督協会の規定によりクレジットはシンガーのみ)。
主役のフレディ・マーキュリーを演じるのは『ナイト ミュージアム』シリーズのラミ・マレック。ギターのブライアン・メイ役には主にテレビで活躍していたグウィリム・リー、ドラムのロジャー・テイラー役には『X-MEN:アポカリプス』のベン・ハーディ、ベースのジョン・ディーコン役には『ジュラシック・パーク』のティム少年役が懐かしいジョゼフ・マゼロ。
感想と評価/ネタバレ有
ロックバンド“クイーン”のボーカルとして世界的成功を収めながら、HIV感染合併症による肺炎によって45歳の若さでこの世を去ったフレディ・マーキュリー。不世出の天才であるがゆえにかなりの問題児でもあったフレディを中心とした家族=クイーンの伝説への軌跡を追ったのが本作『ボヘミアン・ラプソディ』。
私事ですがクイーンのアルバムはすべて持っております。中学生のときに洋楽に目覚め、初めてアルバムをコンプリートしたのがクイーンだったと記憶しているぐらいにはクイーンファンです。しかしボクがクイーンを知ったときにはすでにフレディはこの世にいなかった。
彼の死後に発表されたクイーン名義最後のアルバム『Made in Heaven』の1曲目、『It’s a Beautiful Day』を聴いた瞬間に号泣した恥ずかしい記憶も持ち合わせております。そんなそこそこクイーンファンであるボクが観たいような観たくないような複雑な感情をいだいていた『ボヘミアン・ラプソディ』。
それでは余計な前置きは抜きにしてさっそく感想のほうに行っちゃいましょう。
背中で語る伝説
配給元20世紀フォックスのロゴに続いていつものファンファーレが鳴るのかと思いきや、いきなりブライアン・メイのレッド・スペシャル(ブライアンと父親がおよそ100年前の暖炉を使用して制作したハンドメイドギター)がうなりをあげる粋なサプライズにニヤリ。
そんなサプライズによって盛大な開場を祝福した本作は、1985年のライヴエイドへと臨むフレディの背中で幕を開け、バンド結成、試行錯誤と紆余曲折を経ての成功、内紛、凋落、空中分解の危機などを乗り越え、再び1985年へと戻ってメンバーの背中によって幕を閉じます。
ひとりの天才の頼りない背中に、彼の孤独を、苦悩を、葛藤をにじませ、そんな背中に時に寄り添い、時に反目し、時に支え合う仲間の、家族の背中を映し出す。人の背中に刻まれた人生を映し出すしごくまっとうな伝記映画と言える『ボヘミアン・ラプソディ』。
これ実際のフレディの背中も思いのほか小さいのだけど、ほぼ似たような体格のラミ・マレックの背中も小さくて頼りないのがええのよね。こんな小さな背中であれだけの観衆の前に立ち、それを圧倒し、鼓舞し、歓喜させていたのかと。天才の強さと弱さがわかる良い仕掛けだと思います。
クイーン・ヒット曲メドレー
映画はそんな小さな背中にとてつもない野望と壊れそうなほどのナイーヴさを宿したフレディを中心に、クイーンというバンドが辿った伝説への軌跡を極上のエンターテインメントとして再現してゆきます。彼らの音楽がいかに創られ、演奏され、支持されていったか。
野望はあっても道筋は見えず、コンプレックスの塊だったフレディが、ボーカルが抜けたブライアンとロジャーのバンド“スマイル”に自分を売り込み、そこにベースのジョンが加わったことによる初舞台で生まれたマイクスタンドいじり方わかんねーよ上半分だけぶっこ抜き事件。曲は『Keep Yourself Alive』。
移動用のワゴンを売って行った初めてのレコーディング。彼らの初ヒット曲となった『Seven Seas of Rhye』の出来に満足できず、コーラスを左右に振ったフレディの脇からすかさず「そこでセンターだ!」と割り込むブライアン。初めて得た遊び場であふれ出るアイデアの洪水。才能の萌芽。
ドラムのティンパニにコインをばら撒いた状態で叩くロジャー。自作のギターアンプを振り子のように揺らし出すジョン。ほとんどガキの悪ノリとも思えるがなんと楽しそうな彼らの顔だろうか。音楽をやれる楽しさ、アイデアの可能性、バンドとしての一体感がここにはある。
そんな文化祭前夜のようなクイーンのレコーディング風景を目撃したエルトン・ジョンのマネージャー、ジョン・リードによってデビューのチャンスを得たクイーン。生演奏は認めないBBCの方針によって初のテレビ出演がまさかの口パクとなった名曲『Killer Queen』(っていうかこの映画自体が盛大な口パクなんやけどね。なんか皮肉めいてて面白い)。
その妖艶なルックス、凝りに凝ったサウンド、フレディの圧倒的ライブパフォーマンスによって徐々に世界的な人気を獲得していくクイーン。ここでのライブ映像のつぎはぎはなかなかに神がかった素晴らしい編集。でもなぜか使われている楽曲は『Fat Bottomed Girls』。
そして本作のタイトルともなっている彼ら屈指の名曲『Bohemian Rhapsody』。この名曲誕生秘話を丹念に描き出したシークエンスはファン感涙&悶絶爆笑ものでしょうね。特にロジャーが何度も「ガリレオ~」をハイトーンに次ぐハイトーンで連呼するくだりはたまらん!(ロジャーは聖歌隊で鍛えた超絶ハイトーンの持ち主なのだ)
ちなみにこの名曲はとてつもないこだわりスタジオワークの賜物であり、あまりにこだわりすぎたがゆえにライヴでは再現不可能となってしまった。なのでライヴにおけるオペラパートはテープのみ。そのあいだはメンバーのお色直しと休憩時間に充てられていたのだ(このあたりがいまいちライヴバンドとしては正当に評価されないクイーンの泣きどころ)。
もはや揺るぎない名声を得た彼らだが、その歩みはけっしてとどまることを知らない。観客とのさらなる一体感を模索したブライアン考案による「ドンドンパッ!ドンドンパッ!」というリズムが我々とクイーンとをひとつにするロックナンバー『We Will Rock You』。
さらなる革新を目指し、ジョンによって持ち込まれたクイーンのR&B革命『Another One Bites the Dust』。この頃になるとメンバー間での不協和音が頻出し始め、対立するフレディ対ブライアン&ロジャーのあいだで淡々とあの印象的なベースラインを奏でる寡黙な仲裁役ジョンの泰然自若が印象的(思わず「いいリフだな」と喰いつくブライアンもかわいい♡)。
ちなみにこの曲はクイーン最大のヒット曲で、なんとあのクイーンが全米ブラックチャートで3週連続2位を記録するという珍事まで巻き起こしている。最終的にこの名曲のシングルカットを後押ししたのはかのマイケル・ジャクソンだというのは嘘のような本当の話。
しかしそうして手に入れた世界的成功と反比例するかのように、フレディは主に自身のセクシャルな問題から孤立感を深めていくのです。それを理解しながらも、仲間だから、友人だから、家族だからこそ看過できないほかのメンバーたち。クイーン空中分解の危機。
しかし離れてみてわかる仲間の、家族のありがたみ。自分の周りには最初からこんなに愛すべき人が、愛してくれる人がいたのだ。再び絆を取り戻したクイーンはひとつとなり、「アフリカ難民救済」を目的とした20世紀最大のチャリティコンサート「ライヴエイド」への出演を決意します。
映画としての物語はここで終わったと言ってもよいでしょう。最後の21分間にも及ぶ彼らのライヴエイドでのパフォーマンス完全再現はまあ贅沢なオマケみたいなもんです。しかし、このオマケへと到達するための物語だったともいえるわけで、そういう意味ではそうとう変な映画なのかも。
このライヴエイド完全再現は会場、オーディエンス、クイーンを含めて「何もそこまで」と思わせる執念の再現ぶり。結局のところこの作品は映画というよりもクイーンという偉大なバンドのパフォーマンスを疑似体験するアトラクション空間なのかもしれない。
このライヴエイドにおける彼ら屈指のパフォーマンスはなんと言っても『Radio Ga Ga』。ロジャー初のシングルヒット作で、観客の手拍子を煽るこの曲は後期クイーンのライヴにおける最強の盛り上げ曲となりました(歌姫レディー・ガガの名前の由来となったことでも有名ですな)。
下記の動画はライヴエイドの翌年、同じくウェンブリー・スタジアムで行われた彼らの単独ライヴでの映像。ライヴエイドの動画が観たい人はYouTubeを探してみてね。オフィシャルはないけど。
そしてこれまた後期のライヴではおおいに盛り上がったブライアン作によるハードロックナンバー『Hammer To Fall』。こちらの動画も1986年のウェンブリー・スタジアムでの模様(明らかに喉の調子はライヴエイドの比ではないのが惜しいところ)。
最後に繰り出されるのはフレディから全宇宙に向けての応援歌『We Are the Champions』。この曲が発表された当時、英国のマスコミから「自分たちこそがチャンピオンだなんてなんと傲慢な歌だ!」と袋叩きにあったのはもはや笑い種(実はデビュー当時からマスコミと揉めに揉めるのは彼らの伝統行事)。
しかし本作を鑑賞した方であれば、この歌の歌詞が「自分たちこそが勝者だ!」と宣言したものではないことが容易に理解いただけるかと思います。まあそういう挑発的な意味合いもあるのですけど、この曲はもっと普遍的、それこそ必死に生きるすべての方へ向けての応援歌なのですよね。
俺も、俺の仲間も、そして君たちも勝者なのだと。もっと自分を誇ってよいのだと。必死に闘い、生き抜く者みなが勝者なのだと。もちろんその筆頭は俺自身だけどね♡とフレディは歌っていたのです。この映画のラスト21分間に余計な説明はいらないのです。
そこで歌われている歌の意味を理解すればすべてが観る者、聴く者に伝わる。フレディという孤独な天才の苦悩が、葛藤が、そしてそれでも前へと進むことをやめなかった強さが、それを支えた仲間の、家族の愛が、絆が、彼の力強い歌声とパフォーマンスによって心に流れ込んでくるのです。
クイーンの楽曲の素晴らしさを、圧巻のパフォーマンスを、けっして止まることのない歩みを疑似体験させるアトラクション空間『ボヘミアン・ラプソディ』。ああ~どうか止めないで、邪魔しないで、彼らの歌をもっと聴かせて、本当に最高に楽しすぎるから!
喉に刺さった気になるノイズ
とまあクイーンの楽曲とパフォーマンスの素晴らしさを疑似体験できるアトラクションとして「最高に楽しかった!まだ止めないで!」という賛辞で本作のレビューを終わらしても問題はないのですが、実は書いた文面ほど心底楽しんだわけではないのが難しいところ。
とりあえず厄介なのはノイズですね。別に音響云々のことを言っているわけではなく、ボクなんかじゃ足元にも及ばないコアなクイーンファンが指摘されている時系列ぐちゃんぐちゃん問題です。これがノイズとなり、音楽への、映画への没入度を妨げてしまうのです。
伝記映画というものがすべて史実どおりに進まなければならない法律なんてありません。映画をより盛り上げるためにそれぞれの配置を組み替えたり膨らましたり抹消したりすることは当然の演出で、なんら非難されることではありません。史実に完全忠実な伝記なんて酷くつまらないかも。
しかしですねぇ、演者のルックスや小道具、あの時代、あの雰囲気、ライヴの臨場感の再現に徹底してこだわっているわりには、そこはどうでもいいの?という話。知らなきゃなんの問題もなくスルーできるかもしれませんが、なまじっか知っちゃってるだけにいちいち引っかかるのです。ノイズとして。喉の奥に刺さった小骨として。
そうして改変されたクイーンの歴史、というよりもフレディの人生が、性的マイノリティの苦悩、解放、そして救済へと向かうというのは自身もゲイであるブライアン・シンガーらしく、いろんな意味で現代的でもありますが、そこにあざとい人工的なものを感じてしまうのもまた事実。
感動ポルノとまでは言いませんが、そういう危険性を孕んだ作劇法だとは言えるかも。こういっちゃなんですが、物語として、ドラマとしては正直すぎて面白味に欠けますし。つまりはですね、映画としてはけっして面白いわけでも出来が良いわけでもないということ。
この映画の魅力はその大半をクイーンという偉大なバンドの存在に依存しているということ。つまりは元となるクイーンの楽曲、ライヴパフォーマンスありきのやっぱり疑似体験アトラクションだということ。それで十分なのか?それでは足らないのかの違いなのでしょうね。
ボクは足らなかった。というか、クイーンを疑似体験するアトラクションとしてはむしろ性的マイノリティ云々は邪魔なノイズでしかなかった。そこを掘り下げるのであれば、アトラクション性を減らしてドラマ性をもっと追求すべきではなかったか?
G指定ではなくR指定になったとしても、人間フレディ・マーキュリーの生々しい実像へと迫るべきではなかったか?あんがいそのへんにブライアン・シンガー解任の真相が隠されているかも?なんて邪推するのは自他ともにゲスの極みを自認するボクの妄想ですのであしからず。
フレディ・マーキュリーよ永遠に…
てなわけで、そこそこクイーンファンであるボクの観たいような観たくないような複雑な予感が的中した、良いのか悪いのかいまだによくわからない『ボヘミアン・ラプソディ』評でありました。
まあ率直な感想といたしましては、「やっぱクイーンってすんげー!でも映画としては…」というのが偽らざる現時点での評価であります。クイーンの楽曲が、ライヴパフォーマンスがすんげーのは当然なのです。じゃこの映画にそれを超える面白味があったのか?という話。
本人たちに寄せに寄せた演者たちのなりきり口パクパフォーマンスにしたところで、「ガキの使いやあらへんで!」の「夜の口パクヒットスタジオ!」をただスケールアップしただけ……という文句に次ぐ文句はこのへんでいい加減やめときましょう。
クイーンの魅力を再確認、そして新たに知ってもらう素材としてはこれで十分なような気もしますから。この『ボヘミアン・ラプソディ』を入り口として、彼らの音楽により触れてみたいという方が激増することをボクは切に願っております。彼らの音楽は永遠に不滅ですから!
最後に、フレディ・マーキュリー(本名ファルーク・バルサラ)は、ライヴエイドの6年後1991年11月24日、HIV感染合併症によるニューモシスチス肺炎のためにこの世を去りました。享年45歳。
彼の死後、1992年4月20日にエイズ撲滅のためのチャリティコンサート、「フレディ・マーキュリー追悼コンサート」があのウェンブリー・スタジアムで開催されました。誰もが知る著名アーティストが多数参加するなか、他を圧倒するパフォーマンスを見せたのがジョージ・マイケル。
彼がクイーンのメンバーとともに熱唱したのが本作のオープニングナンバーでもある『Somebody To Love』。最後にその動画を貼りつけておきますので良かったら観て帰ってください(ちなみにジョージもゲイで、2年前のクリスマスに53歳の若さで亡くなった事実もどうぞ忘れずに……)。
個人的評価:5/10点
コメント
鑑賞してまいりました。
正直いうと僕はライブエイドのシーンで号泣しました。
歌詞とフレディが重なっているのがそうさせたのだと思います。
映画としては並だと思いますがクイーンというバンドの力がそれを何倍にも底上げさせていたのは事実だと思います。
時系列は確かに気になりましたし日本人的にはやっぱり日本とクイーンの関係についても
描いてほしかったです。
というか物語としてはクイーンというよりはフレディ個人の物語といった体で
バンドとしてのサクセスストーリーはぶっちゃけおざなりな感が否めません。
初の全米ツアーだって途中で実際はキャンセルになってるのにさも成功したようになってるし。
みるまで監督が誰か全く知らなかったんですが、ブライアン・シンガーと聞いて納得。
X-MENの時からそうですがシンガーは雑というか肝心な所で細やかな気が利かない監督だと思っていたのですが本作もそんな印象ですね。
えるぼーロケッティアさん、コメントありがとうございます!
実はボクも要所要所で泣いております。やはりクイーンが好きで、フレディ・マーキュリーが大好きですからね。ライヴエイドの完全再現もちょうど前日に本家の映像を観直していたところでしたので、その再現度に感動もひとしおでした。
であるからこそ、映画としてはいまいち出来が良くないのが引っかかるのですよね。特にクイーンを知っていればいるほど時系列が適当すぎていちいち突っ込んじゃう。そんな簡単に成功したわけじゃない、どれだけ英国のマスコミに叩かれたか、ようやくつかみかけたチャンスをブライアンやフレディの不調でふいにしたか、そんなクイーンをどれだけ日本が励ましたか、なんてことを思っちゃうわけですね。フレディの天才ゆえ、性的マイノリティゆえの孤独に焦点を当てるにしても、やはりドラマとしては真正直な貧弱さで、安易な現代性に逃げたと映ってしまうのが難点。クイーンという偉大なバンドを疑似体験するのと、フレディの苦難の人生に焦点を当てる戦略が噛み合っていないのが最大の泣きどころでしょうね。
そういう雑さがブライアン・シンガーのせいなのか、それとも彼を途中降板させたせいなのか、現状ではいまいちはっきりしませんね。まあえるぼーロケッティアさんがおっしゃるとおりもともと雑な監督ですから、いつもどおり彼が例のごとく最大の戦犯なのかもしれません。
更新お疲れ様です。
ヴェノムとはしごでこちらも観て参りました。
スパイクロッドさんの熱いクイーン愛に圧倒されつつ、クイーンについては曲のみ知っていて、フレディ以外のメンバーのパーソナリティについては全く知らなかった自分は大変興味深く拝読いたしました。
ぶっちゃけ映画作品としては、ブライアン・シンガー特有の微妙さというか中途半端さが結構出てしまっていたのは否めなかったですね。
ただ、ラストのライブエイドシーンでそれら諸々は全て吹っ飛びました
自分は先述したようにほぼクイーン素人なので、ライブエイドなるチャリティーライブで圧巻のパフォーマンスを披露したなんてことは全く知らず、
心の底から圧倒され、We Are The championsに至っては手を振り歌いたくなる衝動を抑えるのに必死でした。
もう、あのシーンのためだけに極音上映に行きたいくらいです。
なので、クイーン初心者向けのアトラクションムービーというスパイクロッドさんの評は非常に的を射た表現だなと感じました
そして、これだけ熱狂し、新たにクイーンにハマる若い世代が出てきたというだけでも、この作品の価値は大きいのかも知れませんね
starさん、こちらにもコメントありがとうございます!
なんかクイーンの曲紹介や裏話に終始してしまった今回の感想はあとで自分で読んで「なんじゃこりゃ?」と思ったのですけどね(笑)。でもまあ好きなもんは仕方がない。生粋のクイーンファンには知ってて当然のことでも、この映画で初めてクイーンに触れる人にもっと彼らのことを知ってもらいたい!というお節介にスイッチが入ってしまった次第(笑)。
しかし映画としては並、というか並以下ですよね。まあブライアン・シンガーらしいっちゃらしいですけど。相当部分クイーンの魅力によって底上げされたシークレットブーツ的映画なのだと思います。しかしそんな不満を吹き飛ばす力が確かに最後のライヴエイド完全再現にはあった。あの映像に魅了されたのであれば、ぜひとも本家クイーンによる実際のライヴエイドのパフォーマンスも観てほしいですね。はっきり言ってあの比ではないですから!ものすげーですから!そうやって本物に触れた方々がクイーンの虜になってくれるのであれば、この映画には大きな大きな価値があったと思います。
まず何よりアレ!20th Century Foxのタイトルでのアレ!掴みはサイコー!
で、映画としてはと言うと・・・ここがおかしいよ!というコアな指摘は熱心なクイーンファン達に任せるとして、この作品心掴むカットや演出があまりなく、話だけ淡々と進んでいってちょっと面白みないなぁと思いました。
フレディの孤独感ってゲイならではではなく、現代人の抱える孤独感に近いものがあると思うのですよ、「フレディの気持ちなんかわかる気がするわー」レベルではなく、「これは俺だ!フレディは俺なんだ!!」と言わせるくらいやってほしかったもんです。こういう描写こそが過去の出来事を現代に映画化する真価だと思うのですがそんなエモーショナルにしちゃうとファン的にはちょっと余計なのかな…?
それでも、平成生まれの僕にとってすらクイーンは超リスペクトな存在であり特にフレディ以上のロックシンガーは自分は知らないと言いたい程です。
そのフレディを、そして会場まで完コピしたラストシーンがあるだけでお釣りが来ますね!
あとは、淡々としたストーリー運びでも作曲&レコーディングのあの高校生の勢い感がとても楽しくてグッド。ブライアンメイがちゃんとコインで弾いてたりウキウキするシーンもあったので好き!とは言いづらいけど決して嫌いではない映画でした。
わるいノリスさん、コメントありがとうございます!
あの掴みにはやられましたよね!まったく予期していなかっただけにいきなりブライアン・メイによるあのギター・オーケストレーションが鳴り響いたときには震えが来ましたよ!
って感じで最後まで震えてられたらよかったんですけど、そうなんですよね、クイーンどうこう、音楽どうこうの以前に映画として面白くないんですよ。これがクイーンという偉大なバンドの歴史ではなく、創作バンドによる適当な音楽が鳴ってたらみんなどう思うのよ?なんてボクなんかは思うんですけどね。クイーンの偉大さは当然なんだからそこにプラスアルファとして映画独自の面白さを脚色・演出しろよ!と。
フレディの孤独感の原因を性的マイノリティに求めてしまったことがそもそもの失敗だったのかもしれませんね。現代においてはもうそれだけで物語やテーマを紡ごうとすること自体がすでに時代遅れなのかもしれません。ブライアン・シンガーは自身もゲイであるわりにはその問題や描写が非常に保守的でしたしね。わるいノリスさんがおっしゃるように、性的マイノリティに固執するのではなく、それすらも当たり前のこととしてもっと普遍的に人とは孤独なんだ、という視点でさらに映画として突っ込んでいたらまた違ったものになっていたかもしれません。
私も公開2日目に鑑賞しました
地元では3館上映されていましたが一番古く人が多くないと思われる映画館を選びましたが
思わず驚きの声が出るぐらいな人だかりでした
皆さんのコメントにもあるようにライブエイドのシーンでは目頭が熱くなりました
時系列はファンならとても気になるところで家に戻ってからCDのクレジットを見直しました
QUEEN名義は「ミラクル」からじゃん!(笑)
QUEENのファンになったのは「ワークス」からなのでライブエイド以降も描いてほしかったと思ったりと…
でも鑑賞以降は毎日のようにQUEENを聴いているから虜にさせるという意味では良い映画だったのかもしれませんね
ジョージ・マイケルの「サムバディ・トゥ・ラブ」は彼がQUEENに加入していたならと未だ仲間と語るぐらい圧巻のパフォーマンスでしたよね
スパイクロッドさんの感想を読んで更に胸熱になりました!
koolhandさん、コメントありがとうございます!
ボクも『ボヘミアン・ラプソディ』鑑賞以降、自室ではずーーーーっとクイーンが鳴り続けております(笑)。あらためて聴くとやっぱりいいんですよね。でも聴けば聴くほど、「これで十分じゃん、別に映画いらねーじゃん」とも思ってしまうのです(笑)。結局クイーンの魅力以上のことは何も提供できなかったのが映画としての失敗なんでしょうね。クイーンの凄さはわかったよ。で、これ映画としてはどうなの?ってことですよね。ボクはクイーンの音楽を聴きに行ったわけではなくて映画を観に行ったわけですから。
ジョージ・マイケルの『Somebody To Love』。ジョージ・マイケルってあれだろ?半ズボンでうきうきうぇいくみーあっぷとか浮かれ踊ってたクソアイドルだろ?と思っていたボクがその圧倒的パフォーマンスにひれ伏した瞬間です。彼が本当にクイーンに加入していたら凄かったでしょうね。ポール・ロジャース、アダム・ランバート、どっちも違うよなぁ……。
感想にも力入ってますね。
同じそこそこのファンである僕も時系列の入れ替えやちょっとフレディを神聖化しすぎて監督のメッセージのギミック的存在になってるのはうざいなとは思いました。
ただそれぞれの再現度はすごいと思ったし最後のライブエイドの盛り上がりは素晴らしかったと思います。
まあフレディは変なタメを作らず普通にピアノ弾き始めてましたけどね
通りすがりさん、コメントありがとうございます!
まあクイーンが好きであるがゆえにちょっと熱くなって辛口になってしまったかもしれません(笑)。しかし通りすがりさんがおっしゃるように時系列グチャグチャ&フレディ神聖化問題は簡単には無視できない大きさでしたからね。クイーンの音楽、フレディの才能は、性的マイノリティやエイズや非業の死によって生み出されたものではありませんから。そこに過大な意味を見いだそうとする姿勢は彼らの音楽に対する冒涜ではないかとすら思っております。そこに焦点を当てるのならもっとフレディ個人の人生に迫った人間ドラマにしないと。この映画はあくまでクイーンを疑似体験するだけのアトラクションなのですから。