なぜ大地を血で汚すのか。汚された大地から怨嗟の声がこだまする。塚本監督の執念が結実した呪いの映画。その眼球にとくと刻み込め!
作品情報
『野火』
- 2014年/日本/87分/PG12
- 監督・脚本:塚本晋也
- 原作:大岡昇平
- 撮影:塚本晋也/林啓史
- 音楽:石川忠
- 出演:塚本晋也/リリー・フランキー/中村達也/森優作
予告編動画
解説
戦争も、日本も、仲間も消え失せたなか、それでも人は生きたくて、それゆえ大きな罪を犯すという戦争ドラマです。原作は自身の戦争体験をもとにした大岡昇平の同名傑作戦争文学。と言っておきながら未読ではありますが。
監督はこの原作を執念の映画化へとこぎつけた『鉄男』の塚本晋也。その意気込みの大きさは、監督とともに脚本・撮影・編集、そして主演まで務めていることからもわかります。
共演は『凶悪』のリリー・フランキー、そして元BLANKEY JET CITYの中村達也!新人の森優作をはじめとし、大部分のキャストとスタッフをTwitterによって募集したとのこと。いかにお金がなかったかがうかがえますな。
あらすじ
太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島。もはや日本の敗戦は決定的なものになりつつあった。そんななか肺をわずらった一等兵の田村(塚本晋也)は隊を追い出され、野戦病院行きを命じられる。
しかし赴いた野戦病院でも入院を拒否され、行き場を失った田村は耐えがたい空腹を抱えながら、ひとりジャングルをさまよい出す。飢えと、孤独と、絶望と、生への執着。その果てに田村が見たものとは……。
感想と評価/ネタバレ有
昨年の本作品公開時。いつも参考にさせていただいている先輩映画ブロガーさまたちの激賞を受け、自分も巨大スクリーンによるこの熱帯地獄巡りを体験しようと虎視眈々と狙っておったものの、諸事情により断念。今回の自宅DVD鑑賞となりました。
一時はDVDは出ないかも?なんて恐ろしい情報も飛び交っておりましたので、自宅鑑賞とはいえこうして観られたことにとりあえずは感謝。感謝?何を甘ったれたことのたもうてやがるてめえ!この映画はな、死ぬも地獄、生きるも地獄なんだよ!
ネタバレ注意!
甘ったれた自分を少しだけ甘ったれていない自分が叱り飛ばすという、何やらよくわからない構図で始まってしまったこの『野火』の感想。すいません。混乱しております。その混乱に便乗し、今回はネタバレ全開で書いちゃいます。
ネタバレしていようがしていまいが、この映画の「戦争ってのはな、地獄なんだよ地獄!」という揺るぎない衝撃は変わりようがないという手前勝手な判断でありまして、どうぞ、どうぞよしなに。「ふざけんな!」って方はどうぞお引き取りください。
というわけでネタバレ全開による『野火』の感想です。くどいようですがネタバレですよ。ネタがぁ、バレておりますよぉ。
どこにも居場所がない
腹が減り、肺をやられ、立っているのもやっとなぐらいに憔悴しきった、半死半生、見た目はほぼゾンビと化した塚本演じる田村一等兵。厄介者として隊を追われるものの、送られた野戦病院でも入院拒否の邪魔者のけ者あっち行け。
戦争映画らしからぬはっきりくっきり、やたらと明度の高い今っぽい映像のなか、「うえっげぼっ」とえずきながらジャングルを夢遊病者のように部隊⇔野戦病院と往復を繰り返す田村。シュールなコントのようですが、冒頭からけっこうきついです。
つまり彼にはもうすでに居場所がないということ。敗戦濃厚な日本。全滅を待つだけの部隊。そんな完全無欠の負け組からすら所属を拒否される田村っち。圧倒的な孤独感と疎外感。それは何ゆえなのだろうか?妙に愛らしい律義さゆえ?なんかムカつく?
なんにせよ、国からも、部隊からも、仲間からも、誰からも必要とされてない田村。おまけに犬まで吠えまくり。どこか『シン・レッド・ライン』を彷彿とさせる緑豊かなジャングルと戦争という状況のなか、彼はその身も心もすり減らしていくのです。
もはや戦争ではない戦争
日本兵の頭部をコレクションしている現地人。やたらと吠える犬。脳ミソを盛大に撒き散らす医師。恩知らずな松永くん。爆撃によって燃え盛る野戦病院を背景に、ギリギリで保ってきた精神の均衡をついに崩し、狂気へと一歩進み出る田村。
美しい自然のなかをあてもなく徘徊する狂気に片足を突っ込んだ男。彼がなんとなしにたどり着いた廃墟と化した村で犯してしまった罪。これによって田村の狂気は決定的なものとなってしまいます。生まれて初めて犯した「殺人」によって。
飢えの苦しみ。ひとりの孤独。死ぬかもしれない恐怖。そして、殺してしまうかもしれない戦慄。「戦争という過酷な状況であればそんなことはあたりまえだ!」と自称愛国者の方々から鉄拳制裁を喰らいそうですが、これが本当に戦争か?
ここにはもう国家も、軍も、敵も味方もないではないか。しかし『アメリカン・スナイパー』のような戦争の現実もあれば、この『野火』もまた別視点な戦争の現実。大義としての戦争がもはや関係なくなってしまった戦争=地獄という状況。
戦うべき相手、倒すべき敵はもはや消え失せ、国の庇護も、頼るべき仲間も失い、飢えと孤独と狂気の極限状態のなかで、唯一残った自分の生への執着を頼りにジャングルをさまよい続ける、もはや戦争ではなくなった戦争。これはいったい誰のせいだ?
死体の山をかき分けて
どっかのおポンチのせいで地獄へと叩き落とされてしまった田村一等兵。ならびに灰色の顔をした戦友のようでもはや戦友ではない同じく狂気に憑かれた日本兵の群れ。司令部からの命令により、ほかに行くあてもないのでパロンポンを目指す田村たち。
そこに行けば日本へと生きて帰れるかもしれない。絶望のなかの微かな希望。それを情け容赦なく粉砕する逆向き『プライベート・ライアン』の衝撃。飛び交う閃光と血しぶき。剥がれた顔面。もげた腕、足。臓物ぼろろん。脳ミソ踏まないで!
これはもはや戦争ではない。単なる殺戮、虐殺ショーだ!しかし矛盾した言い方になりますが、これもまた戦争の現実である。これを観る者、疑似体験する者にトラウマを植えつけようと、ひたすらリアルに、グロテスクに描写される死体の山。
あっちを見ても、こっちを見ても、死体の山、山、山。姿の見えない敵の掃射によって、ただの肉塊と化していく我らがお爺ちゃんたち。彼らは戦争によって死んだのか?それとも何かよくわからない災厄によって死んだのか?誰が彼らを殺したのだ?
「人が死ぬのが戦争なんだよ」。おっしゃるとおり。おっしゃるとおりではあるが、これを国家のために華々しく散った英霊たちの最期の姿、「万歳!万歳!」なんて言えませんよあたしゃ。言えちゃう奴は人であって人ではない!
死ぬも地獄、生きるも地獄
人を人ではなくしてしまう戦争。極限の飢餓状態。すがるもののない孤独感。戦場における殺人。隣で肉の塊となっていく仲間たち。死体。死体の山。それでもまだ生き残ってしまっている田村。これは罪を犯した彼に科された罰なのだろうか?
そこはかとなく漂っている宗教性。未読の原作はどうやらもっとキリスト教的色合いの濃いものらしいのですが、あまり明確ではないものの、この映画版にも神の存在と不在が描かれているような気がします。見られている感覚とでも言いましょうか。
守るべきものも、戦うべき相手もいなくなり、ただ己の生だけがある状況。喰わねば死ぬ。隣にいる死にかけの伍長。彼を見る田村の視線が何やら怪しい。それを見透かしたように伍長が脇腹を指差す。「俺が死んだら、ここ、食べてもいいよ♡」。
ここから始まる田村のやや短めな妄想バッドトリップ。ここをもっと見たかったという変態のないものねだりもありますが、人が人でなくなったかもしれない瞬間。その決定打となるのが、我がが生き残るための禁忌、人肉食というタブー。
『白鯨との闘い』でも極限状態におけるカニバリズムが描かれておりましたが、それが与える人への影響の甚大さはこの映画に比べたら鼻クソみたいなもん。人が人でなくなる。それでも喰わねば我がが死ぬ。どちらを選んでも地獄。
死ぬも地獄。生きるも地獄。そんな過酷すぎる試練を、ぬぐいようのない大罪を、それでも生きたいという原罪を、情け容赦なく突きつけてくる戦争が生み出した現実。トラウマ級の映画ではありますが、おそらく現実の戦争はこの比ではないでしょう……。
呪いにかかった我らの行き先
いるのかいないのかわからない神から課された試練なのか?罰なのか?熱帯地獄巡りを体と心の苦痛をお供にからくも生き延びた田村。しかし前述しましたとおり、死ぬも地獄、生きるも地獄。彼の後悔と懺悔の生き地獄の苦痛はいかほどか?
そういやタイトルの「野火」ってどういう意味なんでしょうね?Googleさんにただいまお尋ねしたところ、「春の初めに野原などの枯れ草を焼く火」だとのこと。これは要するに、郷愁、怨念、罪悪感ということなのでしょうか?誰か答え知ってます?
完全自主製作映画というかたちでこの『野火』を完成、公開までこぎつけた塚本監督の執念。この世に地獄が存在したことを我々ボンクラの眼球に、脳裏に刻みつけるための呪いの映画。右も左も中道もこの呪いにかかるべきである!
思想うんぬんは関係ない。どちらかと言えばボクは保守だ。誤解を恐れずに言えばしょうがない戦争はあったとしても、正しい戦争なんてないはずだ。この映画で描かれた戦争の現実を踏まえたうえで、さて皆さんどっちに進もうか?
個人的評価:9/10点
DVD&Blu-ray
VOD・動画配信
『野火』が観られる動画配信サービスは、Hulu、Netflix。すべて定額見放題ですが、おすすめは月額500円とコスパ最高なdTV(2018年12月現在。最新の配信状況は各公式サイトにてご確認ください)。
コメント
TBがエコーせず、コメントだけ残します。
この映画は万人受けはしないと思いますが、監督の伝えたいことは手に取るように伝わりました。
「野火」の本当の意味はなんでしょうね?オリジナルとは全く違う展開でしたが、ラストは背筋がぞっとしました。あんな状況の兵士は幾らでもいたのに、人肉を食すとは表立って言わない所が、逆に怖いです。戦争はいや。それだけです。
ミス・マープルさんコメントありがとうございます!
監督の執念が乗り移った尋常ではない破壊力を有した映画でしたね。確かに万人受けはしない、好き嫌いの分かれる映画だとは思いますけど、すべての日本人に観てほしいと思います。「野火」の意味ですが、「原作にヒントが隠されてるよ」と教えていただきましたので、近いうちにでも読んでみようかと思っております。そのときはこの記事に追記を加えるかもしれません。
原作も読みました、本作のほかに、捕虜記、レイテ戦記。活字ではそれなりに描写していても、それを映像化するとなると、また格段に印象が強まりました。とくに戦友の死体の描写など。インパールの安国街道も同様だっつたのでしょう。
緑の砂漠、鹿、猪、本物猿はもちろんいなかったとのことです。
戦後日本で、狩猟!狩猟!と叫んでいる奴らの気が知れません。
自分としては、この映画のシーンや、安国街道に思いをはせてしまうんですが。
マタギ、ハンター、猟友会に喜びを見出している、人種は、シナ戦線3光塵滅粛清戦でもしている気分なんでしょう。
猟銃所持者野放し禁止さん、コメントありがとうございます!
この『野火』における地獄の戦場描写も強烈でしたが、実際の戦場はこの比ではなかったのでしょうね。いわゆる狩猟を趣味、生業としている方々がどういう心持ちでいるのかはボクには知る由もありませんし、やりたいとも思いませんが、それもまた人のひとつの性なのかなぁと思ったりもします。良い悪いではなく、一定数は必ず存在するのであろう生まれながらのハンターたち。理解も共感もいたしませんが、個人の趣味でとどまっているうちはまあまあよいのではないでしょうか。