『運び屋』感想とイラスト それはそれ、これはこれ

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映画『運び屋』クリント・イーストウッドのイラスト(似顔絵)

自分の欲望のために家族を犠牲にしてきた男。男は齢90にして麻薬カルテルの運び屋となった。失われた時間を、家族との絆を取り戻すため、今日も車でカラオケ三昧、明日はホテルで3P悶絶、そこのおわけぇの、俺みたいになっちゃあいけねーよ。

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作品情報

運び屋

  • 原題:The Mule
  • 製作:2018年/アメリカ/116分
  • 監督:クリント・イーストウッド
  • 脚本:ニック・シェンク
  • 撮影:イヴ・ベランジェ
  • 音楽:アルトゥロ・サンドヴァル
  • 出演:クリント・イーストウッド/ブラッドリー・クーパー/ローレンス・フィッシュバーン/マイケル・ペーニャ/ダイアン・ウィースト/アンディ・ガルシア/アリソン・イーストウッド/タイッサ・ファーミガ/イグナシオ・セリッチオ

参考 運び屋 (映画) – Wikipedia

予告編動画

映画『運び屋』特報【HD】2019年3月8日(金)公開

解説

家族との関係、事業の失敗、金銭面での苦境から、90歳にして麻薬の運び屋となった老人の最後の仕事を描いた実録犯罪ドラマ。85歳にしてメキシコの麻薬組織“シアロナ・カルテル”の運び屋に就いた、レオ・シャープの実話をもとに脚色されております。

参考 レオ・シャープ – Wikipedia

監督と主演は『グラン・トリノ』以来の自作自演となるクリント・イーストウッド。イーストウッドの映画出演は2012年の『人生の特等席』から6年ぶり。「辞める辞める詐欺」とも囁かれておりますが、彼の演出を、姿をスクリーンで拝める幸福に免じて許してあげましょう。

共演には『アメリカン・スナイパー』のブラッドリー・クーパー、『マトリックス』シリーズのローレンス・フィッシュバーン、『アントマン』のマイケル・ペーニャ、『ブロードウェイと銃弾』のダイアン・ウィースト、『アンタッチャブル』のアンディ・ガルシア、『死霊館のシスター』のタイッサ・ファーミガなど。

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感想と評価/ネタバレ有

「もうやらない」と言いつつ御年88歳にしてまたやった自作自演映画『運び屋』。しかし本作を観てやった理由がよくわかった。これは10年前の『グラン・トリノ』に続くイーストウッド第2の遺言映画ではありませんか(『許されざる者』を西部劇における遺言映画だとすると都合3本目)。

ならば自ら演じなければ意味がない。『グラン・トリノ』がクリント・イーストウッドという俳優の人生を総括した遺言だとするなら、この『運び屋』はクリント・イーストウッド・Jrという個人の人生を総括した遺言なのだから。よりパーソナルになった御大の遺言とはいかなるものなのか?

人生の大先輩であり、映画界における神のような存在であり、是非ともあやかりたい精力絶倫な老人による、我々若い世代に向けたありがた~いお説教。襟を正して拝見、拝聴いたしましょうぞ。

イーストウッドの集大成?

わずか1日しか花を咲かせないデイリリーというユリの栽培に情熱を燃やす男アール。園芸の世界では名の知れた存在で数々の栄誉にも輝くが、インターネットの普及によって彼の園芸事業は行き詰まり、人生のすべてを捧げていた農園もついに差し押さえられることに。

仕事一筋で家族を顧みることがなかった彼は、金も地位も名誉も持たない孤独な90歳の老人と成り果てていた。そんな彼が金のために手を出した麻薬の運び屋稼業。危険な犯罪行為の過程でアールが想いを馳せるのは、失われた時間への悔恨だった……ってのが簡単なあらすじ。

すべてを失った90歳の老人が、麻薬の運び屋という犯罪行為に手を染めるプロット、その緊張感、失われた時間の重み、家族とのあいだに出来た絶対的な溝、そしてそれらすべての清算を思わせる重苦しい予告編の映像に、我々はイーストウッドという監督の、俳優の、人間の集大成を見た。

そりゃそうだ。前述したとおりこれはイーストウッドが我々次の世代へと向けた遺言なのだから。失われた時間は取り戻せない。自分にとって本当に大事なモノへと気づきなさい。遅咲きの花もある。遅くはない。あなたの大事な人の手を取って、ともに歩きなさい!

ってどの口がほざいとんねん!おねーちゃんのケツが大好きな色キチ○イのカラオケ三昧でいまだ自由奔放なイカれジジイがぁっ!

正体不明な軽妙さ

すいません。口汚く取り乱してしまいました。怒ってる?いやいや、まったく怒りはありません。むしろ多幸感にあふれております。だってこの『運び屋』はボクの予想を軽やかに飛び越えてみせた想定外の傑作でしたから。いまだイーストウッドは現在進行形なのであります。

これがイーストウッドの「遺言映画」だという認識に変わりはございません。本作の主人公アールはイーストウッド本人だと考えて相違ないでしょう。園芸という世界では数々の賞や評価を勝ち取りながらも、家庭人としては破綻しまくった外の世界に生きる仕事人間。

それを一種の罪として、自分で自分を罰し、愛する者たちに赦しを乞う懺悔映画であり、「俺のようにはなるなよ」と次の世代にお説教をかます遺言映画だとする認識で、皆さま大筋異論はないかと思われます。であるならば、いったいこの牧歌的な軽妙さは何事だろうか?

予告編で感じた重苦しさはこの『運び屋』における副成分に過ぎず、主成分はイカれたジジイがカラオケと3Pと寄り道にふけるふざけた軽妙さにこそあるのです。90歳のジジイが犯罪によって手にした金で、お気楽に歌って踊って3Pする懺悔と遺言映画ってなんじゃそりゃ?

映画界の生ける伝説、神として崇め奉られながらも、いまだにその正体を誰もつかみきれてはいない謎多き、闇深き、解説不可能な歩く下半身44マグナム、クリント・イーストウッド。本作『運び屋』もご多分に漏れず正体不明ではあるが、不明なりにその感想を書き綴ってみましょうぞ。

歌うジジイ

本作『運び屋』の何にまずビックリしたって、とにかくイーストウッドが歌う歌う。もともと音楽好きで歌いたがりの人ではあるが、「何もそこまで」って勢いで歌い倒すジジイのカラオケロードムービーなのだ。しかも麻薬を運ぶ緊張感満点なはずの車中で歌い倒すのだ。

初仕事から歌いまくりです。2回目、3回目、もうノリノリでひとりカラオケドライブを楽しむジジイの余暇でも観ているような趣です。勘のいい人はこの時点で「なんの映画だこれは?」と思ったことでしょう。麻薬を運ぶ車中で陽気にカントリーソングを口ずさむジジイの呑気な小旅行。

旅と歌と陽気といえば『ブロンコ・ビリー』と『センチメンタル・アドベンチャー』を思い出しますが、この両作の意味がわかる軽妙さと、本作の意味不明な軽妙さとのあいだには大きな隔たりがあり、爺さんいよいよボケたか狂ったのか?といささか心配にはなります。

しかしこれがとにかく面白いのだ。ジジイがドライブ中にひとりで呑気に歌い狂う。しかも大量の麻薬を搬送しているお仕事中にだ。これをお仕事と言ってよいのかどうかわからぬが、そこには緊張感のカケラも存在しない。ユルユルのダルダルが異様な面白さを描いているのだ。

懐柔するジジイ

緊張感満点なはずのシーンでその緊張をスポイルする謎演出。アールがまっとうな一般社会から反社会的な領域へと壁を越える描写は、光と闇を往復する映像によってわかりやすく示されておりますが、その光と闇が、善と悪が曖昧なのはまさにイーストウッドの世界観。

麻薬組織とのファーストコンタクト。映像的には闇深いのに、度胸満点なのかボケているのか判別不能な飄々さで組織の下っ端とやり合うアールの老獪さ。ふと気づけば彼らはもうツレ同然で、「いよ!タタ(爺さん)また来たか!」なんて言いながらスマホの扱いを指南してもらうジジイと孫状態。

そんな好き勝手し放題な運び屋の行状を心配し、ボスが付けたお目付け役との奇妙な友情形成ファミリー同然。極めつけは自分が原因で取引相手と起きた一触即発状態のうしろで、呑気にリップクリームを塗っている豪胆さはもはや意味不明を通り越した大爆笑ポイント。

ついにはその仕事ぶりからボスの信頼まで勝ち取り、自宅に招かれて「こんな凄い屋敷を建てるのにいったい何人殺したんだい?」というブラックジョークまでまかす始末。そしてここで繰り広げられる夢のような酒池肉林。いや、あの、ジジイの反省映画なんだよね、これ?

女のケツを追うジジイ

思えばこの映画の最初からアールの視線は女のケツに釘付けだった。最初の仕事で手にした金で孫娘の結婚パーティを開いてやり、そこで若い娘と踊り狂ってケツをまさぐるジジイ。退役軍人会のリフォーム費用を捻出してやったパーティでも同様にケツに狂っていた。

そしてカルテルのボスの自宅で爆発するケツに対するはち切れんばかりの劣情。女のケツ、ケツ、ケツの出血大サービス。ボスにあてがわれたふたりの美女との心臓バクバク股間モリモリ3Pタイムなんて、アールの、もといイーストウッドの変態性癖が赤裸々すぎて笑うなというほうが無理。

ここでのイーストウッドはまさに受け専門。彼の作品を長らく追いかけてきた者にとっては周知の事実ですが、イーストウッドは受け専門なのです(ここ大事よ)。自分はマグロ状態で女性からあんなことやこんなことをされちゃいたいドMの変態なのです。

運び屋稼業の途中で泊まったモーテルで、ふたりのコールガールを呼んで3Pに及ぶという同様の描写がありましたが、ここでもおそらくは受け専門のはず。もしかしたら縛られたり、叩かれたり、掘られたりもしてるかも?なんという赤裸々な性癖ご開陳。アッパレ!です。

それはそれ、これはこれ

人生の終局において過去の愚かな自分を再度リフレインしているかのような、ジジイのもう一花咲かせたい。めちゃくちゃ牧歌的で、ふざけてて、精力絶倫な陽気さが漂っておりますが、この夢のように楽しい終活を現実化させているのは、紛れもない犯罪によってなのですよね。

しかし本作のアールにそんな危機感、緊張感、罪悪感は存在しない。ヤバい仕事だと薄々は勘づきながらも、その金によって他者から感謝、評価、受け入れられる快感。自分が運んでいる商品が麻薬だと判明しても、さして気にも留めずまた歌い出して運び屋稼業を続ける謎のいい加減さ。

ホントに「なんなんだこれは?」と、腹の底から笑いながら不安で気持ち悪くもなってくる謎映画『運び屋』。ふと思い至ったのは、「それはそれ、これはこれ」というフラットな視点。麻薬の密輸はれっきとした犯罪として描かれているが、それを仕事として評価され、楽しむアールの姿もまた真実である。

悪党は悪党であるが、そんな彼らと形成される絆もまた真実。犯罪行為によって得た金で酒池肉林を満喫するアールはただのゲス野郎ではあるが、彼が思い出したように口にするお説教もまた的を得た真実。世界とはわかりやすい白か黒の二者択一ではなく、「それはそれ、これはこれ」という限りなく曖昧なグレーなのだ。

ポリコレなんざぁ糞喰らえ

そこを履き違えてしまうと、映画とは、人生とはとても息苦しく、つまらないものになってしまうとこの映画は言っているのかもしれませんね。ポリコレ完全無視なアールの差別発言連発も、『ダーティハリー』の頃から変わらないイーストウッドの信条なのです。

「白人も黒人も東洋人も、お前みたいなヒスパニックもみんな嫌いさ!」と相棒のチコ(ヒスパニック系)にうそぶくハリー。この精神が本作のアールにも引き継がれております。大事なのは言葉としての、建前としての政治的正しさではなく、人と人とがどう向き合うか。

言葉尻だけを捕まえれば差別映画そのものかもしれないが、この映画はそんな思い込み、決めつけによる差別のレッテルを相対化させ、そのアホらしさを見事に笑い飛ばしています。だって、運び屋アールの存在そのものがアホらしい決めつけ差別の賜物なのですから。

差別的な発言ひとつを切り取って政治的正しさを、合理性を主張しても意味がないのだ。アールが選択した行為はれっきとした犯罪だが、彼がそこで得た楽しさ、生きている実感、組織との絆は紛れもない真実だ。それを破壊したのは合理化の名のもとに行われたトップ交代劇ではなかったか。

これ以降、映画から漂っていた意味不明な、不必要とも思える能天気な軽妙さは影を潜め、途端に映画が息苦しくなってくるのは必然なのでしょうね。映画にも、仕事にも、人生にも遊びが、無用が、グレーさが必要。それを失いつつあるアメリカへの警鐘とも言えるでしょう。

本気のイーストウッド

インターネットへの、スマホへの嫌悪もそれにつながります。合理性を突き詰めれば人はただの阿呆になるのだと、女のケツとカラオケとデイリリーを愛する非合理の塊のようなイカれジジイは、我々に説教垂れておるのですね。「合理化なんざぁ糞喰らえじゃ!」と。

そんな合理化の名のもとに奪われたジジイの楽しかったあの時間。っていうか犯罪行為なんですけどね。でも「楽しかったんじゃ~充実してたんじゃ~気持ちよかったんじゃ~」という心の叫びが聞こえてきそうです。ここでも事の善悪はさして重要ではないのです。

これはイーストウッドの映画人生ともつながる話で、気心の知れた悪友たちと自由に撮れていた時代は良かったものの、そこに合理的なシステムが介入してくることによって途端に映画がつまらなくなる。そしてこの『運び屋』も、ここを契機に映画としての面白さを急速に失ってしまうのだ。

楽しかったあの時間(重ねて言うが犯罪だ)が終わり、夢から覚めた男は自由を失い、DEA(麻薬取締局)の足音を感じ、現実に引き戻され、仕方なく家族のもとへと帰ってゆき、過ぎた時間の後悔を、罪を告白、懺悔し、ご都合的な赦しを得たのちに自分で自分を罰する。

正直この後半はかなりのやっつけ仕事で、映画を終わらすための、成立させるための言い訳のようにも思えます。ただDEAの捜査官を演じるブラッドリー・クーパーとの邂逅は本気でしょう。遺言には継承の意味も込められているのですから。次世代へのバトンタッチ。

それが最も端的に表れた車中の逆光でつぶれたイーストウッドと、車外で光りを浴びるクーパーとのコントラスの構図は、あまりにバッキバキの完璧さで正直泣きそうになりました。この画だけですべてを物語っている本気のイーストウッド。やっぱり真面目な、本気の遺言映画なのかこれは?

後悔しても反省はしない

自分自身の人生を主人公アールに投影させ、ドン引きするほど自由奔放な変態自己中享楽ライフを赤裸々に告白し、その選択によって失われた時間、傷つけた大切な人たちへの後悔、懺悔を綴り、「俺のようにはなるなよ」と忠告した遺言映画、という認識でやはり間違いはないと思います。

しかし全力で、「お前が言うな!」という突っ込みを受けても致し方ないでしょうな。自分は好き勝手に生きて他人を傷つけてきたくせに、どのツラ下げて、どの口が言うとんねん!って話です。でも散々ここに書いてきたように「それはそれ、これはこれ」なのですよね。

家族をないがしろにして自分勝手に股間を膨らまして外のメスのケツを追っかける下半身44マグナムが、まっとうな人生の真実を語り得る場合もあるのです。本気で「悪いことしたなぁ」と後悔はしているのです。でもおそらく反省はしていない。

本気で反省しとったらこんなふざけた映画撮るわけないがな!

アールの充実した運び屋稼業を否定はしておらんのですからね。否定するならもうちっと後ろめたさがあるはずですが、やってる本人も観ているこっちも全力でここを満喫していましたから。ただそうやって選択した自由の結果は、自分自身が全責任を負わなければならない。

やっちまったことはやっちまったこととして「気持ちえがったなぁ…♡」と反芻しながらも、その結果としての罪は自分自身でヨイショと背負い、進んで「ギルティ!」と自己申告をし、不自由なのか自由なのかよくわからない新たな世界でひたすらデイリリーを愛でる終局。

散々あーだこーだと書き連ねてきましたが、やっぱりよくわからん妙チクリンな映画ですな。しかしその正体不明な気持ち悪さがひたすら心地よい傑作でもある。いつかイーストウッドの映画を真に理解できるときが来るのだろうか?彼が死ぬ前に、いや、ボクが死ぬ前に……。

個人的評価:8/10点

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クリント・イーストウッド

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コメント

  1. わるいノリス より:

    何の前情報もなしに見たのであまりの話の軽さに驚きました笑
    贖罪映画と思いきやカラオケ3P珍道中とホントに楽しそうでスパイクさんの言うとおり「それはそれ、コレはコレ」の通りですね!
    けどこんだけ楽しそうなイーストウッド見たら何かもう家族のこたぁええわ!と言ってあげたくなります、その点で贖罪映画としては成功かな??

    そんな軽い映画ですが僕はこの作品はグラントリノを更に超えてきた作品だと思ってます。
    僕らがホントに見たい世界は地獄のような問題を提起する作品ではなく(それを表現する手法のすごさを楽しむという意味は別にして)それをどう解決したかの解放感なんです。
    黒人ファミリーのパンクを直すシーン、一触即発かと思いきやサラっとそれを流すイーストウッド。あの場面は心から感動しました。世界中で怒っている問題を大きくすることなく「え、こんなのでいいんだ!」と思う軽さでサラっと乗り越えていくからです。

    けどそんなこたぁストーリーの端で済ます程度でいい。無理に大きくしても不満を煽るだけ。
    勿論、軽いと言ってもマフィアの追跡や麻薬捜査官等緊張感を煽る演出等の手腕は流石です。その中でリップクリームを塗る軽さを混ぜるこの余裕。単に真面目で重厚な作品よりよっぽど骨太感があります。3Pとか受けとか多分本人の趣味でしょうしその曝け出した感じも好感触!
    「グラントリノ」「アメリカンスナイパー」等重い作品を撮ってる印象が強いイーストウッドですが「軽さ」という表現を織り交ぜながら重厚さとコミカルさを奇妙だけど味わい深くブレンドした手腕、齢90前にして新境地に来たのかと思うくらいです。

    個人的なことですが、この映画にBクーパーが出演してるのが嬉しかったです。
    こないだの「アリー/スター誕生」が監督・俳優・脚本・作曲を務めながらどれもハイレベルに仕上げた実力を見て、自分の後継者と認められたのでしょうかね?
    ああ、イーストウッドには120まで映画撮って欲しいなぁ!

    • わるいノリスさん、コメントありがとうございます!

      わるいノリスさんのおっしゃることに全面的に賛成ですね。映画としての完成度は明らかに『グラン・トリノ』のほうが上ですが、テーマやメッセージとしてはその先、さらに上を行ってきたって感じです。っていうかここまで赤裸々に自分自身をさらけ出した映画ってこれまでなかったんじゃないでしょうか?しかもそれをこの軽さで描くという驚異的な手法。詰まるところこの人は常に現在進行形なのでしょうね。死ぬまで終わらない。死ぬまで成長し続ける。変わり続ける。人が何かを学ぶってことに遅すぎることなんてないんですよね。その軽やかさがあの黒人家族との出会いに凝縮されていたような気がします。

  2. おーい生茶 より:

    スパイクロッドさん、お久しぶりです。
    「運び屋」がレンタル解禁されたので早速見ました。
    感想はと言うとやや面白い、といったところでしょうか。
    名作「グラントリノ」には劣りましたね。
    それでも老人が主人公の映画としては合格点です。

    僕は当作を「想定外に長生きしてしまった男の物語」と解釈しました。
    したがってイーストウッドの人生総括の映画とは思いません。
    主人公はただの老人ではなく90歳近い老人です。
    この設定は妄想が膨らんで非常に面白かったです。

    しかし話は粗く、特殊な設定ほど面白くありませんでした。
    おそらく監督が高齢ゆえにボケているからでしょう。
    そう考えると妙に軽いタッチの演出に味を感じます。
    僕はアリな映画だと思いますね。
    イーストウッドファンの方はムカつくかもしれませんが。

    • おーい生茶さん、コメントありがとうございます!

      本作は『グラン・トリノ』のようなカチッとした映画作りを志向していないからでしょうね。ボケたと言えば確かにボケたとも取れますが、そういうゆるさをも自作のなかに取り入れてさらなる異次元映画を撮ったのだとボクなんかは思っております。ゆるいとか粗いというよりも異常な映画でしたから。まあボクは生粋のイーストウッドファンですので、相当な贔屓目は入っておるとは思いますが(笑)。