『シェイプ・オブ・ウォーター』感想とイラスト 愛のかたちは不定形

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映画『シェイプ・オブ・ウォーター』サリー・ホーキンスのイラスト(似顔絵)

この世界で出会った私とあなた。私は口のきけないガリガリ中年女で、あなたは人外ヌメヌメ半魚人。私たちうまくやっていけるかしら?たとえこの想いが伝わらなくても、私はあなたを愛しています……。

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作品情報

『シェイプ・オブ・ウォーター』

  • 原題:The Shape of Water
  • 製作:2017年/アメリカ/124分/R15+
  • 監督:ギレルモ・デル・トロ
  • 脚本:ギレルモ・デル・トロ/ヴァネッサ・テイラー
  • 撮影:ダン・ローストセン
  • 音楽:アレクサンドル・デスプラ
  • 出演:サリー・ホーキンス/マイケル・シャノン/リチャード・ジェンキンス/ダグ・ジョーンズ/オクタヴィア・スペンサー/マイケル・スタールバーグ

参考 シェイプ・オブ・ウォーター – Wikipedia

予告編動画

解説

冷戦下のアメリカを舞台に、政府に実験材料として捕らえられた半魚人と、その施設で清掃員を務める口のきけない女性との愛の逃避行を描いたファンタジーラブストーリーです。

監督は『パンズ・ラビリンス』と『パシフィック・リム』で知られるギレルモ・デル・トロ。第74回ヴェネツィア国際映画祭での金獅子賞受賞を皮切りに、各国映画祭や映画賞を席巻した本作は、第90回アカデミー賞でも作品賞を含む最多13部門にノミネートされております。

主演は『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』のサリー・ホーキンス。共演には『BUG/バグ』のマイケル・シャノン、『扉をたたく人』のリチャード・ジェンキンス、『ドリーム』のオクタヴィア・スペンサーなど。半魚人を演じるのはデル・トロ映画の常連ダグ・ジョーンズ。

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感想と評価/ネタバレ有

ギレルモ・デル・トロ史上で最も高い評価を受けている本作。ヴェネツィア国際映画祭での金獅子賞を皮切りに、第90回アカデミー賞でも最多13部門のノミネートを果たし、我らオタクの星であったデル・トロの前に世界がひれ伏すときがついにやってきたのかもしれません。

ちなみにオリジナルバージョンはR18指定であり、本邦初公開となった東京国際映画祭でもそれに準拠したかたちとなりましたが、残念ながら一般公開バージョンでは一部に修正の入ったR15+指定であり、何度となく繰り返されてきた芸術への冒涜には怒りを禁じえません。

マイケル・シャノンのケツの何がいかんというんじゃい!デキモンでもあったんか?タマでも見えとったか?腰使いが卑猥すぎるってか?んなもんお前らかて振っとるじゃろうが!へこへこへこへこ振っとるじゃろうが!んなわけで、へこへこ感想書くから読んでかんかい!

しゃかしゃか女とへこへこ男

1962年のアメリカ。政府の研究所で清掃員として働く口のきけない女性イライザ。ある日彼女はこの研究所へ実験材料として運び込まれた半魚人“アセット”と出会う。“彼”の存在に不思議と心惹かれたイライザは、人目を忍んでアセットの元へと足毛く通うことに。

やがてイライザとアセットのあいだには確かな愛情が芽生え始めるのだが、研究を指揮するストリックランドは功を急ぎ、アセットを生体解剖することを決定してしまう。もはやアセットのことを愛していたイライザは、彼を救うために決死の行動に出るのだった……ってのが簡単なあらすじ。

口のきけない中年女性と最初から最後まで怪物を貫き通すふたりの恋愛を描いた、裏版『美女と野獣』とも言える『シェイプ・オブ・ウォーター』。ディズニーが描いてきた美しい夢物語と真っ向から対峙する、残酷な現実とはかない夢との境界線ゆらゆら物語。

その立ち位置は開始早々、ルーティンとしてバスタブでしゃかしゃかこすられるイライザの自慰行為によって如実に示されております。これはつるつるのパイパン映画などではなく、鬱蒼と茂ったジャングルの奥地をしゃかしゃかこすることも辞さない剛毛映画であると。

そういう意味ではイライザのしゃかしゃかと対を成す、ストリックランドのへこへこも非常に重要な映像のはずなのですが、そんなへこへこに無粋なボカシが入れられてしまったのは前述したとおり。しゃかしゃか女とへこへこ男が雌雄を決する映画だというのに困ったもんだ。

愛は水のように

ルーティンとして自らの秘部を毎日しゃかしゃかこするイライザは、決まったとおりに人生を生きる現実という時間の囚われ人です。そんな彼女を時間から解き放ち、固定から流動する生へと突き動かしたのが、水からの使者アセットだったというのはなんとも示唆的ですな。

常に動き続ける水と、けっしてひとつではない愛のかたち。正直なところ、まさかここまでデル・トロがストレートな愛の物語を描くとは想像しておりませんでした。ガリガリ中年女性と腐ったお刺身野郎との恋愛という変化球を超どストレートで描く純な変態魔球映画。

ふたりの恋の過程に説得力がないという批判も出てきそうですが、もともと愛や恋なんて説明不可能な厄介事なわけで、別にこれは勘違いでも思い込みでも一方通行でもいいのです。出会うべくして出会い、惹かれるべくして惹かれ、結ばれるべくして結ばれた意味不明。

むしろここに孤独感やマイノリティという要素を持ち込んだことこそが蛇足であり、それこそ愛に理屈なんてなくてもいいじゃねーかとは思うのですが、アセットへの想いを必死に手話で訴えかけるイライザの姿に胸打たれたのも事実であり、とかく人間とは理由を欲しがるもの。

人と違う女が人ではない怪物に心惹かれるのもまた愛の必然であり、これも星の数ほどある正しい愛のかたちなのでしょう。彼との出会いによって彼女の色彩が緑から赤へと変化し、より激しく水が流れ出し、動き始めるのも美しい愛のダンスのように思えます。

美談は悲劇とともに

しかしこの映画の監督はあのギレルモ・デル・トロ。美しい恋物語をより美しく際立たせるためにはバランス感覚が必須だということを熟知しております。美と対を成す醜さと残酷さ、そして夢につきまとう現実を逃げずに真っ向から描き出した、美しくも残酷で悲しい愛の寓話。

前述したしゃかしゃかイライザとへこへこストリックランドが代表例ですが、エロ方面だけではないグロ方面への突っ込みも恋愛映画にあるまじき血なまぐささで、とりわけそちら方面におけるストリックランドの活躍は見逃せません。執拗に穴を攻める拷問がなんとも実用的。

けっして美人とは言えないサリー・ホーキンスが、愛を知ることによって美しく見えてくるという映画的マジックにも見事な説得力がありました。対して半魚人アセットはどうだろうか?造形の良し悪しではない若干の守り、観客への媚びが見え隠れしていたのはボク的に残念。

まあ「おら猫喰っちまっただ」は人によってはトラウマ級かもしれませんが、基本は万人に受け入れられる、キモカワとして認知される用意周到なラインを狙っており、真のブサメンたちにとっての救いとはならなかったのはちと残念。反省して子猫ちゃんを撫でてたしね。

そんなふたりの恋愛逃避行も、幸福なまま終わるはずがないのはデル・トロの常。人と異なる存在は人によって抹殺され、夢に生きる者が現実によって裏切られるのは世の常、人の常。しかしこれによってこの美しい物語が美しいまま完結するのもまた物語の常なのです。

ついにしがらみを振り払い、ただ己がためだけの怒れる獅子として覚醒したストリックランドの凶弾によって倒れたふたり。彼らの時が止まった悲劇の瞬間。しかしその悲劇もまた美談のための必然であり、晴れてふたりは悠久の流れのなかで永遠の愛の化身となるのです……。

ラストの虚と実

異端の純なる愛の成就を描いた映画としてこれ以上ない完璧な幕切れでしょう。凶弾に倒れたイライザが、水中で彼女の人としての欠陥であった首の傷口がエラへと変化し、息を吹き返す描写なんてその最たるもので、他者との違いこそが彼女を構成していたのだと言わんばかり。

しかしこの美しい異端の恋物語を額面どおりに受け取ることができないのは、『パンズ・ラビリンス』を観たことがある人なら同意していただけるかな?現実から逃げ続けた少女の現実的悲劇を美しい夢によって逆転、もしくはその悲劇性を強調せしめた悪魔のエンディング。

本作『シェイプ・オブ・ウォーター』のラストもこの『パンズ・ラビリンス』をきれいに踏襲していると言えるでしょう。ある程度、現実と虚構が区別されていた『パンズ・ラビリンス』に対して、その境界が曖昧なすべて現実、すべて虚構とも取れるリアリティラインによって。

本作の語り部が第三者であるジャイルズであるというのも重要なポイントで、人は見たいものしか見ないし、語りたいことしか語らないのであります。つまりこの『シェイプ・オブ・ウォーター』という映画はジャイルズのこうあってほしいという夢の具現化にほかありません。

ですので細部がけっこうザルで、サスペンスとしての緊張感が弱いのも素人の作劇だと思えば合点のいく話で、ぶっちゃけると信用できない語り部による眉唾美談だったというわけ。でも勘違いしてほしくないのは、これによってこの美しい話が損なわれるわけではないってこと。

なぜならイライザの良き隣人であり、親友であったジャイルズが語ったこの物語には、ジャイルズからイライザに対する感謝と愛があふれているから。定形のない愛を描いた『シェイプ・オブ・ウォーター』は、徹頭徹尾、さまざまな愛のかたちを描いていたのです。

マイケル・シャノンのケツ

ギレルモ・デル・トロの集大成とも言える、美しい異端の愛を描いた『シェイプ・オブ・ウォーター』。確かに上手い、デル・トロのやさしさと愛が感じられる技巧的良作だったとは思いますが、それほどグサグサ刺さらなかったのは集大成ゆえの自己模倣と上手さのせいかな?

デル・トロって意外と抑制の効いたオタクで変態だから、趣味と娯楽と商売とのバランス感覚に長けているのだけど、もうそろそろ趣味の領域へと振りきれたいびつな作品も観てみたいような気が。リミッターを外したデル・トロの作品ってどんなんでしょうね?

ところでこの映画でリミッターを外していたおっさんと言えば、やはり強烈な顔面力で映画を支配していたマイケル・シャノン演じるストリックランドでしょうね。あの世界で精一杯の虚勢を張り、虚飾にまみれ、もだえ、あがき、そしてついに覚醒して絶命する男の命の炎。

「あの世界」が冷戦時代ではなくトランプ大統領誕生以降を示しているのは明白で、そんな世界でいっぱしの男たろうとする彼のへこへことガリボリと小便美学には同じ男として涙を禁じえません。キャデラックのくだりなんて背伸びした小物感満点でオスカー級でしょうに。

なのに、なのになのに!主演はおろか助演男優賞にもノミネートされていないというオスカー会員の節穴ぶり!シャノンのケツはそんなに汚かったのか!?ピストン運動が生ぬるかったのか!?ケツ毛ぼーぼーか!?シャノンのオスカー落選の真相はあのボカシの向こう側に!?

てなわけで、第90回アカデミー賞の発表は3月5日です。『シェイプ・オブ・ウォーター』はいったい何冠に輝くのか?ついにシャノンのケツの真相が明かされるのか?乞うご期待。

追記/オスカー受賞おめでとう!

第90回アカデミー賞授賞式が現地時間3月4日(日本時間3月5日)に開催され、見事に『シェイプ・オブ・ウォーター』が作品賞・監督賞・美術賞・作曲賞の4冠に輝きました!おめでとうデル・トロ!怪獣映画がオスカーを獲る日が来るなんていったい誰が想像した!

「私は移民です」で始まる受賞スピーチも感動的で、現在のアメリカでメキシコからの移民が声なき者たちの声を代弁した作品でオスカーを獲得するなんて、なんて痛快な話であろうか!重ねておめでとうデル・トロ!そしてありがとう!次のあなたの作品が本当に楽しみです!

参考 第90回アカデミー賞 – Wikipedia

さらに追記/無修正版Blu-ray発売!

レイティングをR-18+からR-15+へと引き下げるために、マイケル・シャノンのケツへと挿入された無粋なモザイク。「芸術への冒涜……いや、シャノンのケツへの冒涜だ!」とボクを含めてお怒りになった方も多いことでしょう。

で、予想どおりの結果なのですが、このたび発売されるBlu-ray盤はちゃんと無修正で収録されるとのこと。喜ばしい!まことに喜ばしいのではあるが!だったら最初から無修正版を上映しろよ!って話。いや買うけどね。買うけどなんか釈然としないのよ……。

個人的評価:7/10点

DVD&Blu-ray

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コメント

  1. えるぼーロケッティア より:

    遅ればせながら見てまいりました。
    割とカップルの客が多く驚きましたが映画を見れば純粋な恋愛映画なので
    カップル向きなのは間違いないですよね。

    スパイクロッドさんのアセットの造形に関しての指摘ですが
    確かに万人向けというかイケメンだなと思いました。
    反面、監督は美女と野獣について結局人間に戻ったイケメン王子と結ばれることが真実の愛かよみたいなことをインタビューでおっしゃっていましたので、
    そんなにイケメンがいいなら半漁人のイケメンならどうだ!しかも地元じゃ神様として崇められてんだぞ!ってことかなーとも思いました。
    結局野獣のままだったら異物として受け入れられないから人間に戻したということに監督は納得できないからこそ美女と野獣に言及したのかもしれません。
    姿形の違いなんて関係なくアセットのありのままを受け入れて愛する、そっちのほうが美しいじゃないか、ちょっと譲歩してアセットは君らの好きなイケメンにしよう、みたいな。

    ストリックランドは本当トランプ政権を彷彿とさせる人物でした。
    トランプの「偉大なアメリカを再び」「強いアメリカを取り戻す」という演説での発言がありますが、彼の行動は正しくその発言にとりつかれた人そのもののように映りました。
    マイノリティ側であるゼルダやイライザやアセットに対する行いや発言は一連の排泄的な発言をするトランプとダブりますし、キャデラックといういかにもアメリカらしい車を購入するくだりなんかもそうですね。
    奥さんもあの髪型からして昔の理想の白人妻って感じが色濃くでていたように思えました。
    それらを必死で取り繕ってなんとか維持しようと必死になる様は確かになにか物悲しい
    ものがあります。

    見た目が怪物だけど心優しいアセットと非道な行為を平然と行うストリックランド、はたしてどちらが本当に怪物なのかという問いかけもありがちだけど面白いです。
    僕としてはストリックランドの、保守だってつらいんだって心情を悲劇的ではありますが上手いこと描いているなと思いました。

    • スパイクロッドスパイクロッド より:

      えるぼーロケッティアさん、コメントありがとうございます!

      一見すると凄く純粋なラブストーリーですので、いわゆるモンスター映画になんか興味のない普通のカップルがデル・トロの映画を観てくれるだけでもアカデミー賞の影響は大きいなと思いますね。でもその純粋なラブストーリーの裏にはいろいろと深読みできる隠し要素もてんこもりで、実はさまざまに解釈可能な幅の広さも魅力だと思います。記事本文のほうを読んでいただければ推測できるかもしれませんが、ボクはこの恋愛を単なる一方通行だと解釈してたりしますから。

      そしてストリックランド。現アメリカ大統領ドナルド・トランプが実現しようとしている強きアメリカでの成功を夢見た彼は、その世界の住人でありながら被害者であるとも思えます。まあ半分以上は自業自得ですが。でもあの世界ではそうするしか成功するすべはないのです。定型的なアメリカの成功者の象徴とも言える家族のかたちでありながら、少しもその家庭生活は幸せそうではないのが象徴的ですよね。成功者の必須アイテムである車を買ったらあんなことになるし(笑)。ほかの方の解釈で感銘を受けたのが、彼がアセットによって噛み切られた左手の薬指と小指は2本とも愛に結びついているというのがありました。これを読んだときには「ああぁ……」と思いましたね。素晴らしい解釈であると同時に、ストリックランドがもう哀れで哀れで……。

  2. ブッチ より:

    劇場で見逃し、先日、やっとBDレンタルして鑑賞しました。デル・トロの映画は好きで、特に「パシフィック・リム」(2は見てません)はオールタイムベストに入るくらい大好きなのですが、この映画は「デビルスバックボーン」や「パンズラビリンス」に近いテイストですね。
    ただ、なんていうんでしょうか、デル・トロの今までの映画と比べて良くも悪くもすごく「大人」を感じる映画でした。
    色々な捉え方ができると思いますが、そもそも半魚人の話自体がイライザの作り上げた妄想かもしれないなんてことも考えてしまいます。つまり、イライザの愛は自己愛なのではと。くだらない現実に対峙するその妄想の美しさと危うさこそがこの映画の描きたかったことなのではと。
    マイノリティの心の領域まで誰も侵すことはできない!という、デル・トロのオタクの心の叫びを、単純に見えてかなり複雑な「大人」な技術で作ってしまった映画って感じでしょうか。
    「パシフィック・リム」や「ヘルボーイ」の子供なデルトロが好きですが、これもまた悪くない気がします。

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    • ブッチさん、コメントありがとうございます!

      デル・トロという監督はオタクの癖にとてつもないバランス感覚を持ち合わせた才人でして、その時々によってさまざまな顔を見せてくれるけっこうなカメレオン監督なんですよね。まあオタク的なサービス精神を全開にした商業的作品と、自信のパーソナルな部分を反映させたアート志向映画(ホラー寄り)とに分類できるかと思えますが、そのどちらでも成功を収めている時点ですでに天才です。どちらが好きかと問われると少々悩みますが。

      本作『シェイプ・オブ・ウォーター』の凄いところは、いつも以上にこだわったビジュアルのなかで一見するとわかりやすい物語を描いておきながら、よくよく見るといかようにも解釈可能だという幅の広さ、そして底の深さにありますよね。ボクの考えは本文でも書きましたとおりブッチさんと近いものですが、それが必ずしも絶対的な正解ではない多義性があるかと思われます。愛の形と同じく答えもまた不定形。そういう作品こそが真の名作なのかもしれません。