『ダゲレオタイプの女』感想とイラスト 回転するめまい

映画『ダゲレオタイプの女』のイラスト

彼岸に捕らわれた家族。此岸から彼岸へと引き寄せられた主人公。そして彼岸に憑かれた監督。黒沢清はどこに行っても黒沢清でした。あとは好みの問題かと。

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目次

『ダゲレオタイプの女』感想とイラスト 回転するめまい

  1. 作品データ
    1. 予告編動画
  2. 解説
    1. あらすじ
  3. 感想と評価/ネタバレ有
    1. ダゲレオタイプ
    2. いつもの境界をまたぐ
    3. 変わらぬ不穏さ
    4. 思い入れの深さ
    5. ネタバレ解釈(注意!)

作品データ

『ダゲレオタイプの女』
Le secret de la chambre noire/The Woman in the Silver Plate

  • 2016年/フランス、ベルギー、日本/131分/PG12
  • 監督・脚本:黒沢清
  • 撮影:アレクシ・カヴィルシーヌ
  • 音楽:グレゴワール・エッツェル
  • 出演:タハール・ラヒム/コンスタンス・ルソー/オリヴィエ・グルメ/マチュー・アマルリック

予告編動画

解説

彼岸と此岸にこだわる監督は海を渡っても執拗に「あちら」と「こちら」の境界をさまよい歩くという、フランス、ベルギー、日本合作によるゴシックホラー・ラブストーリーです。

監督は『クリーピー 偽りの隣人』の黒沢清。オールフランスロケ、外国人キャスト、全編フランス語で撮り上げた海外初進出作品です。主演は『預言者』のタハール・ラヒム。共演にコンスタンス・ルソー、オリヴィエ・グルメ、マチュー・アマルリックなど。

あらすじ

フリーターのジャン(タハール・ラヒム)は、写真家ステファン(オリヴィエ・グルメ)のアシスタントとしての職を得る。パリの古い路地に建つ屋敷にスタジオを構えるステファンは、世界最古の写真撮影方法“ダゲレオタイプ”に固執した写真家だった。

銀板に直接ポジ画像を焼きつけるその特殊な技法には長時間の露光が必要で、被写体はそのあいだ動くことが許されず、全身を特殊な器具で固定して撮影に臨むのだった。そんな過酷な撮影のモデルを務めているのが、ステファンの娘マリー(コンスタンス・ルソー)だった。

徐々にダゲレオタイプという特殊な撮影技法に魅了されるとともに、マリーにも惹かれていくジャン。以前のモデルを務めていた彼女の母親、つまりステファンの妻の死の真相を知ったとき、ジャンのなかでマリーをこの呪縛から解放したいという想いが芽生えるのだった……。

感想と評価/ネタバレ有

日本のみならず海外でも評価の高い監督、黒沢清。そんな彼の海外初進出作品がこの『ダゲレオタイプの女』。名実ともに二人目の「世界のクロサワ」となったわけです。撮影にはあのレオス・カラックス(『汚れた血』『ホーリー・モーターズ』)なども見学に訪れたとのこと。

『汚れた血』の『Modern Love』でラヴァンと一緒にお腹抱えて疾走していたバカ者としては狂喜するような話ですが、それだけ黒沢清の映画には天才をも惹きつける何かがあるということ。その何かを探りにシネ・リーブル梅田へとぼらぼら出かけてまいりました。

ダゲレオタイプ

『ダゲレオタイプの女』。なんとも興味をそそられるタイトルである。ダゲレオタイプとはなんぞや?詳しい解説はこちらを参照してもらうとして(ダゲレオタイプ – Wikipedia)、何やら世界最古の写真撮影技術だとのこと。その撮影には特殊な拘束具を使用します。

たかだか写真撮影のために数十分間も身体を拘束される苦痛。芸術への奉仕。芸術家からの支配。一方的な愛情を投影するための呪縛。束縛。因果。このダゲレオタイプが象徴するものとはつまり呪われた家族、家にまつわる逃れられない宿命みたいなものなのです。

これはちょっと拍子抜けしてしまうほどにわかりやすいメタファーでして、一抹の不安を覚えたのも事実。「黒沢さん、ちょっと置きにいった?」。いやいやそんなことはないはず。あの天才レオス・カラックスが認めたほどの男。そんなことはないはずだ。

いつもの境界をまたぐ

映画冒頭、やや仰角にセットされたカメラは列車のパンダグラフ、電柱、電線、そして彼方のクレーンを映し出しております。見事な構図です。そこから予想されたタイミングでカメラがスーと下降し、列車から降りてくるひとりの人物のうしろ姿をとらえます。

彼がこの映画の主人公ジャン。彼が歩くパリ郊外の古ぼけた路地。パリのようでパリには見えない。かといって日本の風景にも見えない。つまりは黒沢清が撮るどこでもありどこでもないいつもの異空間だということ。いつもどおりの安定さを良しとするか否とするか。

ジャンがたどり着いた屋敷。異世界への扉が、境界が重厚にそびえ立っております。この門を開き、境界を超えたジャンは、すでにこの映画の真の主役ともいえる「家」の呪縛に運命を絡めとられたということ。この時点で彼はすでに「彼方」へと足を踏み入れたのです。

呪われた「家」に、「運命」を引き寄せられ、「彼方」へと片足を突っ込み、逃れらない「宿命」に絡めとられる。前作の『クリーピー 偽りの隣人』とまったく同じ構図ですな。ここでもいつもの黒沢節がリフレインされている。確かに不穏だがこれでいいのか?

変わらぬ不穏さ

屋敷内部でも象徴的に境界としての扉が現れ、縦の導線、そしてお約束のビニールカーテンもやはり登場しています。表面上は何も起こっているようには見えないが、何かが、すでに、もしかしたら、起こっているのかもしれない見えないゆえの不穏。

計算された照明、鏡、階段、風に揺らめくカーテン。そして青いドレスの女。やはりこの監督の映画は何も起こっていないときこそが真骨頂。この家にまつわる「呪い」を、家族に科せられた「宿命」を、主人公が絡めとられた「運命」を見事な不気味さで映し出しております。

芸術家である父親の愛の名のもとにダゲレオタイプよろしく束縛されているマリー。自死による解放を望みながらいまだ屋敷に捕らわれている妻。ゆがんだ愛情の結果として自らも逃れられない宿命を生きるステファン。そんな家族の運命に巻き込まれたジャン。

不気味な歯車の一員にされてしまったジャンは、初登場時から生きているのか死んでいるのかわからない不穏さで登場したマリーに恋をし、彼女をこの「家」から解放することを望み出します。しかし縦の導線を悪用した長回しによって歯車は無慈悲に回り続けるのです。

思い入れの深さ

ここで残酷に見せつけられる、上から下へと流れていく縦の運動の衝撃はこの映画における紛れもない現実であり、束縛であり、宿命であり、運命でもあります。いつもの不穏さと不気味さを落とし込んだフランス映画として、ここまではおおむね満足でした。

しかしまあこれもいつものことなのですが、隠されることによって増幅していた不穏さが、表面化した途端に力を失い、単なる心霊映画、単なる狂気を孕んだラブストーリーへと堕してしまったという印象。ここからボクのこの映画に対する評価は急降下します。

すでに結果は判明しているのにそれを長々と引っ張る間延び感。これで引っ張るだけの原動力としては弱すぎる、見えない範囲、グレーゾーンの狭さ。『回転』や『めまい』との類似点を指摘する向きもあるでしょうが、だったらボクは回り道しないでそちらを観る。

結局のところ、初海外作品としての気負いや迷い、守りの姿勢はうかがえないいつもどおりの黒沢映画だと思うのですけど、だとしたら問題となってくるのは題材と脚本、そして黒沢清という監督に対する思い入れの深さ。

好きな人にはいいだろうが、言うほど思い入れのない人間にとってはやはり脚本の弱さと、題材の古風さが気になってしまう。あと想像する余地の狭さ。ラストのタハール・ラヒムはいい芝居をしていたと思いますけど、蛇足だと感じてしまうのはボクだけだろうか?

フランス映画でもまったく変わらない黒沢節。ゆえに問題があったのは脚本。好き嫌いで言えば断然、世俗臭さとケレン味あふれる『クリーピー 偽りの隣人』のほうをボクは推します。でもたぶん、思い入れの深い人はこっちのほうを推すんだろうなぁ……。

個人的評価:4/10点

ネタバレ解釈(注意!)

想像する深度の浅い、グレーゾーンの狭い比較的わかりやすい映画だと書きましたが、この映画にはあきらかに答えをぼかしている点が2点あると思います。それはマリーを階段から突き落としたのは誰なのか?ステファンは本当に自殺なのか?それとも他殺なのか?

これに対するボクなりの解答は、前者はステファンであり、後者はジャンだろうということ。ジャンもまた愛ゆえの狂気に憑かれていたと考えるのが妥当なので、ステファンの自殺はジャンの自己正当化、都合のいい現実化だとボクは解釈しております。

これによってマリーの解放を望んだものの、結果的に宿命どおりエグレー一家はあの家に捕らわれたままとなりましたので、運命とはいつも残酷なものです。この地獄にひとり残されたジャンの苦しみはいかほどか?せめて主観の海を最後まで泳がせてあげてほしかった……。

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