『散歩する侵略者』感想とイラスト 愛の威力は腰砕け

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映画『散歩する侵略者』東出昌大のイラスト(似顔絵)

2017年、日本へと襲来した侵略者は我々の概念を奪い取る。家族を、自由を、所有を、自分を奪い取る。しかし彼らにも奪えないものがあった。それはサイコパス東出の底抜けに深遠な愛のスッカラカン!

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目次

『散歩する侵略者』感想とイラスト 愛の威力は腰砕け

  1. イラスト
  2. 作品データ
    1. 予告編動画
  3. 感想と評価/ネタバレ有
    1. とりあえず結論から
    2. 古典的侵略劇
    3. もう、いやんなっちゃうなぁ!
    4. 桜井さんと天野くん
    5. 侵略の幸不幸
    6. 北北西に進路を取れ
    7. 愛は地球を救う?

作品データ

『散歩する侵略者』

  • 2017年/日本/129分
  • 監督:黒沢清
  • 原作:前川知大
  • 脚本:田中幸子/黒沢清
  • 撮影:芦澤明子
  • 音楽:林祐介
  • 出演:長澤まさみ/松田龍平/長谷川博己/高杉真宙/恒松祐里

参考 散歩する侵略者 – Wikipedia

予告編動画

感想と評価/ネタバレ有

人間から「概念」を奪い取っていく謎の侵略者たち。彼らに寄生され別人のようになった夫に戸惑う妻の姿を中心に、奇怪な侵略を受けた人類の行く末を描いた異色SFドラマです。監督は『クリーピー 偽りの隣人』『ダゲレオタイプの女』の黒沢清。

とりあえず結論から

これまでハマりそうでハマらなかった黒沢清。みんな大好き『CURE』や『回路』にはボクもえらハマりいたしましたが、それ以外はどうにもしっくりこなかったのです。でも今作は普通に、と言うには語弊があるぐらい異様で普通に面白かったですね。

黒沢清の違和感がメジャーと幸福な結婚を果たした初の成功例ではないでしょうか?不気味で不快で難解な違和感を残しながら、SFパニックコメディとしての感動的着地点へと見事に舞い降りてみせたエンタメ快作。そう、これはもはやエンタメ快作と言って差し支えないかと。

古典的侵略劇

人類の未来を暗示させる侵略される金魚の図(金魚すくい)で幕を開ける本作。女子高生の太ももに代表される絶妙の構図、カメラワーク、ライティングがいつもながら決まっており、とりわけ境界としての扉近辺で繰り広げられる光と老婆の引きずり劇場が秀逸です。

郊外の一軒家で発生した突然の家族惨殺事件。血の海で跳ね回る金魚。実行犯と思われる女子高生がフラフラと通りを歩く背後で巻き起こる、なんらかの力が作用したのかもしれない盛大な交通事故と彼女の笑顔がたまらない、鮮烈なまでのオープニングです。

女子高生の名は立花あきら。第一の侵略者です。はい、ネタバレってほどではないですが、人間の体に寄生して地球を侵略に来た宇宙人なのです。ほかに失踪していたサラリーマン加瀬真治と、謎の美少年である天野くんを含めて、斥候としての侵略者は全部で3人いる模様。

ボディ・スナッチャー/恐怖の街』や『ゼイリブ』を彷彿とさせる人体乗っ取り型のSF侵略ものなわけですね。『インデペンデンス・デイ』や『宇宙戦争』のような派手にぶっ飛ぶ侵略系も良いのですが、こういう地味な侵略劇にこそ古典的な恐怖と味わいがあるのです。

もう、いやんなっちゃうなぁ!

この地味な侵略劇の中核を担うのが、健康雑誌をさかさまに読む夫の加瀬真治、もとい“しんちゃん”と、そんな夫の韜晦に終始キレまくる妻の鳴海による夫婦漫才。死んだような目で世界を初めて見るしんちゃんの浮世離れと、そんな彼にブチギレ続ける鳴海の現実的生活感。

このふたりの夫婦関係は元のしんちゃんの浮気癖によってすでに崩壊しかかっておったのですが、あろうことか宇宙人と合体を果たして帰還した新しんちゃんの登場によって、すでに崩壊しかかっていた夫婦関係が完全に破綻し、再構築がなされるというウルトラC。

「もう、いやんなっちゃうなぁ!」という鳴海のセリフには、旧しんちゃんに対する愛の残り香と、新しんちゃんに対する愛の萌芽が感じられて本気で泣きそうになりました。っていうか泣きました。黒沢清で泣く日が来るなどとは想像だにしていませんでしたがオイオイ泣いた。

しんちゃんを演じる松田龍平の人外はまともに歩くことすらままならないリアル宇宙人演技も絶品でしたが、やはり白眉は鳴海を演じる長澤まさみの現実的立ち姿と怒り、そして「もう、いやんなっちゃうなぁ!」。そこはかとない生活のエロスが漂っているのもたまりません。

桜井さんと天野くん

鳴海としんちゃんの夫婦再生劇と並行してSF侵略劇を進行させているのが、ジャーナリストの桜井と生意気美少年エイリアンの天野くんによるもうひとつのパート。第一の侵略者である立花あきらによる家族バラバラ殺人事件を調べる桜井と、彼にするりと接近する天野くん。

この『散歩する侵略者』の面白いところは、人間に寄生した宇宙人は地球観光ガイドを要するということ。しんちゃんにとっては鳴海であり、天野くんにとってはそれが桜井だった。自分のことを宇宙人だと名乗る天野くんに興味を覚えた桜井は、ガイドを引き受けることに。

このへんの車を境界に見立てたライティングの変化も面白いというか狂ってますよね。ちょいちょいホラーなのかコメディなのかわからない演出が挿入されていて笑顔が固まります。鳴海の部屋のカーテンとか、天野くんのお母さんとか。これこそが黒沢清の真骨頂でしょう。

天野くんの弁によると、彼らは地球侵略のための斥候部隊であり、人間の「概念」を奪って学習しているとのこと。ジャーナリストとしての好奇心によって天野くんのガイドを引き受けることにした桜井。彼らの奇妙な道行きがすなわち奇怪な侵略劇の道程となるわけです。

侵略の幸不幸

宇宙人が人間から奪い取っていく概念。しかし概念などというものは大局的なようでいて局所的なものであり、つまりは個人差の問題になってきますので、そんなものを集めたところで宇宙人はどうするつもりなのかとも思いますが、まあ宇宙人のやることなので理解不能で当然。

詰まるところ「奪う」という行為自体がすなわち「侵略」なのでしょう。ある概念、言い換えればこれまでの人生で縛られてきた価値観みたいなものを突然奪われた人間たちが、皆一様にどこか幸せそうな開放感に包まれているのがいい例ですが、それがすなわち侵略なのです。

まがりなりにも培ってきた概念が強制的に奪われ、新たな価値観の萌芽によって生まれたまがいものの幸福と開放感。「米軍は出ていけ」という看板が、ゆるやかな侵略を受けてかりそめの繁栄を手に入れた我が国を象徴しているようで、面白いなぁと思います。

別にこの映画が反米だと言っているわけではなくて、そういうゆるやかであったり猛烈であったりする侵略劇の複雑さの上に成り立った難儀なこの世界を、どこか傍観者的にとらえている視点が面白いというか、良い悪いで判断していない多義性が興味深いのです。

北北西に進路を取れ

侵略を受けた側の妙な幸福感と狂気は、満島真之介演じる丸尾くんのイッちゃった世界平和が最も端的でしょう。ファッションセンスも意図的にヤバいです。あきらとアンジャッシュ児島による「自分」をめぐる『ゼイリブ』的プロレスや、笹野高史の語尾とセリフもセクシー。

日常が非日常によって浸食され、概念を奪われた侵略劇によって幸福と不幸が交錯し、カオスの到来を恐れながら望んでいるようななんだかよくわからないこの絶妙の違和感。やたらと多いモブが、光が、柱が、人物に張りついたカメラの長回しが不穏で不快でたまりません。

この何がなんだかよくわからない違和感エンタメの究極到達点が、長谷川博己演じる桜井による『北北西に進路を取れ』。鳴海としんちゃんとはまた違うかたちで妙な絆というか相互干渉を経たふたりが至った、誰かのために何かをしたいと思う人類侵略へのカウントダウン。

死にゆく天野くんと彼の想いを受容しようとする桜井とのブロマンス。あの『北北西に進路を取れ』で嬉々として走り回り、撃ちまくり、ケツをヒクヒクさせる桜井はいったい何者なのだろうか?この絶妙の違和感、曖昧さこそがこの『散歩する侵略者』の究極到達点。

あの姿が直接的侵略の結果ではなく、間接的侵略の果てに産み落とされたニュー桜井なのだとしたら、その先に人類の滅亡が待っていようがそんなことは関係なく、誰かのために自分がなすべきことを実直に行う狂気と感動があふれており、これまたオイオイ泣くのです。

愛は地球を救う?

日常侵略系SFホラーコメディと言ってもいい絶妙の違和感とエンタメ性が奇跡的に共存した『散歩する侵略者』。それが最終的に到達する日テレ的着地点を良しとするか悪しとするかは微妙なところですが、そこにしか着地点はないし、なお違和感は残っているとも言えます。

「もう、いやんなっちゃうなぁ!」と言いながら車で異界を渡り、新旧が入り混じったニューしんちゃんのことを心底愛してしまった鳴海のエロスと不可解さ。彼女の超個人的な愛の概念と不可解さの破壊力は、それを奪ったしんちゃんの腰砕けで見事に表現されております。

そらもう「なんかわからんけどすげえ」のです。この曖昧で不可解で理解不能な愛の概念が地球を救ったのでしょうか?なんかわからんけどすげえ話ですが、結局のところこの愛が一方通行性なのも見逃せないポイント。両想いではなく片想いに終わるのですよね。

愛を理解していないしんちゃんにとって鳴海の愛は認識外ですし、鳴海の愛を奪ってその破壊力に腰砕けたときには、愛を奪われた鳴海はすでに廃人同然。伝わらないのが愛であり、共有できないのが愛であり、なんかわからんけどすげえのが愛という意味不明な概念の力である。

そんな愛という名の違和感を全身全霊で空虚に表現してくれていたのが、サイコパス東出演じる牧師でしょう。あれは本当に牧師なのだろうか?っていうか人間なのだろうか?この映画で最高に不可解で恐怖で爆笑だったのがサイコパス東出なのは疑いようがないでしょう。

愛について真剣に意味不明なたわごとを心の宿っていない笑顔で語り続けるサイコパス東出。彼が語る愛の概念をしんちゃんが奪っていたとしたら世界はどうなったのだろうか?っていうかしんちゃんはどうなってしまうのだろうか。きっと違う意味で腰砕けるのでしょうね。

個人的評価:7/10点

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コメント

  1. わるいノリス より:

    長澤まさみ初め今年最も俳優陣が良かった映画の1本だったと思います。
    概念を抱えてるからこそ苦しむが、その概念を失うと人としての日常を全うすることができない。昨年の映画、太陽で旧人類か新人類化甲乙つけなかったように白黒ハッキリさせないところが前川脚本の味なんですかね。

    非常に興味深く面白い作品でしたけど、「愛の概念だけは特別で奪いきることはできないんだなー」と思わせつつ後日譚で廃人になってる鳴海にだけモヤモヤしている次第でございます。絶対的に片思いにしかなれないというオチは呑み込めるんですが・・・即効性がないのには何か理由があったのかしらん。

    • スパイクロッド より:

      わるいノリスさん、コメントありがとうございます!

      長澤まさみをはじめとした主演クラスももちろん良かったのですが、概念を奪われていく脇役クラスの好演も光ってましたよね。特にテレビも邦画もロクに観ないボクにとっては元AKBの子というイメージしかなかった前田敦子が、まさかここまでいい演技をするとは夢にも思っておりませんでした!「触らないで気持ち悪い!」と言って長澤まさみの指をソロっとはがしていくところなんて秀逸です(笑)。

      実はこの作品のラスト、ボクは人様の感想を読んで「あ、奪いきれてないのか!?」と気づいた次第でして、偉そうなことは言えないのですけど、結局のところ愛という概念化不可能な抽象的で個人的で無限大な想いを奪い取るにはキャパオーバーだったのではないでしょうか?鳴海自身にすら具体化できない愛を宇宙人が理解できるわけがありません。だからこそ「なんだこれ、すげえ」と腰砕けたわけで、永遠にそれを理解しないまま想いに突き動かされるかたちでしんちゃんは鳴海のそばに寄り添い続けるのでしょう。

      対して中途半端に自身の愛を奪われてしまった鳴海は、それが中途半端であり、概念化不可能であり、彼らにも理解不能であったばっかりに、その想いが返却不能の宙ぶらりんになったのかもしれません。あるいは奪った張本人が生きているかぎりそれは永遠に戻らないのか?っていうか愛を奪われた人間は廃人同様になるってめちゃくちゃロマンチックな残酷さでもありますよね。最後にミカンが出てきましたので、「未完」ってことで、監督自身もよく自分でわかってなかったりして(笑)。

  2. らびッと より:

    宮崎映画祭のゲストが黒沢清監督でこの作品が近くの映画館で公開中ということで急きょ舞台挨拶が決まったので観に行ってきました。
    映画祭ではダゲレオタイプの女の上映だったので、黒沢清作品はやっぱりこの感じだなと思いながら観ました。
    宇宙人とのやり取りや概念を抜かれた人たちの反応が愉快でしたね。
    元になった舞台もとても面白いみたいなので機会があったら観てみたいです。
    そういえば、前田敦子さんは「モヒカン故郷に帰る」の演技もよかったな。

    • スパイクロッド より:

      らびッとさん、コメントありがとうございます!

      黒沢清のいいとこ取りのような感じでありながら、一般的エンタメ作と言えなくもない絶妙なバランスで成立したなかなかの佳作だったと思いますね。SFなのかホラーなのかコメディなのかラブストーリーなのか、いまだによくわからないところがまた味わい深いです。ボクは前田敦子の演技をほとんど観たことがないのですが、本作での演技はホントびっくりするぐらい良かったです!(あ、『シン・ゴジラ』にチョロッと出てたか)

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