さらわれた息子を救うため、今日も親父はパンツいっちょで駆け巡る。愛する我が子を救うべく、ほかのすべてを犠牲にし、全部まとめて木っ端微塵に吹き飛ばすその時まで……。
作品情報
『フューリー』
- 原題:The Fury
- 製作:1978年/アメリカ/118分
- 監督:ブライアン・デ・パルマ
- 原作・脚本:ジョン・ファリス
- 撮影:リチャード・H・クライン
- 音楽:ジョン・ウィリアムズ
- 出演:カーク・ダグラス/ジョン・カサヴェテス/エイミー・アーヴィング/キャリー・スノッドグレス/アンドリュー・スティーヴンス/チャールズ・ダーニング
参考 フューリー (1978年の映画) – Wikipedia
予告編動画
解説
人並みはずれた超能力を有する息子を政府の秘密組織によって誘拐された父親が、彼を救い出そうと奔走する姿を追ったSFスリラーです。
監督は『キャリー』のブライアン・デ・パルマで、彼のフィルモグラフィにおけるサイキック姉妹編といった位置づけでしょうか。原作はジョン・ファリスの同名SF小説で、脚色自体もファリス自身が担当。
主演は『ガン・ファイター』のカーク・ダグラス。共演には『特攻大作戦』のジョン・カサヴェテス、『愛のイエントル』のエイミー・アーヴィング、『ペイルライダー』のキャリー・スノッドグレス、『デス・ハント』のアンドリュー・スティーヴンスなど。
感想と評価/ネタバレ有
テレビ版日本語吹替音声収録によるBlu-ray盤がついに発売されたデ・パルマの奇天烈サイキックぼっかんムービー『フューリー』。デ・パルマを愛するボクといたしましては速攻で予約し、神棚で数日寝かし、すっかり忘れて慌てて鑑賞し、今こうして感想を書いている次第。
しかし奇天烈サイキックぼっかんムービーと評したとおり、乗りに乗ったデ・パルマが乗りすぎたというか乗り損ねたというか、デタラメな方向へと突っ走ったあげくにぼっかんで逃げきった怪作、いやさ快作でありまして、久々に観てみても何が何やらわからぬ次第であります。
何この脚本?
アメリカ政府の元諜報員ピーター。特殊な能力テレキネシスを有する息子ロビンの将来を案じていた彼だったが、その能力に目をつけたかつての同僚チルドレスによって息子を誘拐されてしまう。チルドレスはロビンの能力を政府の諜報活動に利用しようと考えていたのだ。
1年後。息子の行方を追ってシカゴへと潜伏していたピーターは、諜報機関の隠れ蓑である精神分析研究所に勤める恋人のヘスター、同研究所に入所しているテレキネシス少女ギリアンの協力を得て、息子ロビンの身を奪還すべく奔走するのだったが……。
てな感じのあらすじを簡単に紹介してみましたが、この映画とにかく脚本がデタラメで、誰と誰がどういう関係で何をしたいのかボケっと観ててもさっぱりこってりわからん始末で、何やら途方に暮れてしまいます。原作者が脚本書いてるくせにどういうことでしょこれ?
ピーターとチルドレスの過去。彼らが所属していた諜報機関。超能力者を集めて具体的に何をやらせたいのか?っていうかピーター、ギリアン、ロビン、いったい誰が主役なのか?迷走する物語と人物関係にさらなる拍車をかけてくるやたらと間延びしたのろのろ展開。
小説家自身に脚本を書かせたのがそもそもの失敗か。この脚本を受け取った時点ですでにデ・パルマはちゃんとした映画を撮る気はなかったのでは?デタラメな脚本どおりにデタラメな映画を撮り、唯一ビジュアルだけはデタラメに弾け飛んでやろうと目論んだのでは?
めくるめくビジュアル
てなわけでいきなり飛び込んでくるビジュアルはキラキラまぶしい海パン姿のカーク・ダグラスおじさま。初老の肉体を海パンいっちょで奮い立たせ、息子ロビンと砂浜でキャッキャウフウフしているファーストインパクトからして尋常ではありません。すでに何かがおかしい。
おかしいと言えば、誘拐されたロビン捜索のためにピーターが雇った超能力者を演じる我らがウィリアム・フィンレイの、存在そのものが通報に値するガチ変質者ルックも破壊力満点で、この超絶濃いビジュアルをもってしてこれ以降いっさい登場しないという謎展開も異様。
異様と言えば、チルドレス率いる組織に居場所を知られたピーターが、またもやパンイチで決死の逃走劇を見せるサービス精神も異様さ全開で、逃げ込んだアパートでの家族との間の抜けたやりとりや、靴墨による髪染め変装なども真面目なのかふざけてるのかさっぱりわからぬ。
わからぬと言えば、しょっぱいカーチェイスのあとに唐突に車ごと海へと突っ込むピーターのやる気満々もわかりませんし、自分で勝手に突っ込んどいて震えながらかつての恋人ヘスターへと電話をかけ、「暖めてくれ!」とコンビニ扱いする唯我独尊には頭を抱えるしかない。
常軌を逸したスローモーション
そんな頭痛がいったん頂点へと達したのが、ロビンと同じ能力をもち、精神感応によってその居場所を割り出せるかもしれない少女、ギリアン救出シーンでありましょう。コンビニ扱いした恋人ヘスターに、彼女を研究所から連れ出すようにそそのかす唯我独尊男ピーター。
このシーンを常軌を逸した長尺スローモーションによって描き出したデ・パルマの精神構造は完全にキチガイのそれであり、しかも最大の功労者でありながら最悪の被害者として無残に轢き殺されたヘスターの血まみれを、だんだんズームによって強調せしめる悪趣味さ。
本来は窮地からの大逆転を演出するためのスローモーションを用いながら、あえて最悪の事態を突きつけてくる生涯消えないであろう悔恨の瞬間は、常に負け犬映画を撮り続けるデ・パルマの真骨頂であり、傑作『ミッドナイトクロス』への布石とも言えるでしょう。
さらにダメを押してくるのが、そうまでして救い出したかった息子ロビンは、度重なる実験の影響によって脳ミソが腐ってきており、父のかたきとして植えつけられた無関係なアラブ人を高速回転で血祭りにあげるという、完全なるモンスターと化しておるわけです。
カサヴェテス木っ端微塵
もはや息子は息子ではなくなっている事実など露知らず、やっとの想いでロビンが囚われている屋敷へとたどり着いたピーター。多大な犠牲を払いながらいよいよ到達した運命のクライマックス。普通の映画ならロビンは救われ、めでたしめでたしで終わるのが定石です。
しかしこの映画は普通ではない異様な映画だった。救うべきロビンは海パンでキャッキャウフウフしていた頃の面影は消え失せた怒りの化身と化し、愛する女を血の海でクルクル回して遊ぶ悪鬼と成り果て、海パン親父のことなどきれいさっぱり忘れて襲いかかってくる始末。
愛すべき息子が、ともに海パンでキャッキャウフウフしていたあのロビンが、すでにロビンではなくただの獣へと堕ちていた事実をようやく認識したピーターは、自らロビンを昇天させ、悔恨と懺悔と嘆きのなかで後追いダイブをかますというおよそありえないクライマックス。
救おうとしている主体が救うべき対象を殺し、最後には自ら命を絶つなんて結末は、普通の娯楽映画などでは断じてない何かが狂った異様な代物で、悔恨の上に悔恨を盛ってくる悔恨コンボには、デタラメを通り越したデ・パルマの人生観がにじみ出ているように思います。
極めつけは断末魔のロビンと精神感応したギリアンの青い瞳によって、芸術的なまでに木っ端微塵に弾け飛ぶカサヴェテスのぼっかんぼっかんさらにぼっかんでしょうね。狂ったようにスロー再生され続ける人体破壊の芸術美には、いわゆる映画的カタルシスは皆無です。
画的なカタルシスはあったとしても、ここに映画的なカタルシスはない。ぼっかんによって何も解決はしないし、何も救われない。ただすべてのデタラメをデタラメに弾け飛ばすぼっかんの衝撃的破壊力があるのみ。何も生み出さないただあるがままのカサヴェテス木っ端微塵。
これは最も不道徳なぼっかんの使い方でありながら、それと同時に最もぼっかんの存在意義を的確に表現した使い方なのかもしれません。そこに何かしらの意味を付与することこそが邪道であり、ぼっかんはただぼっかんらしくぼっかんすることによりぼっかんと砕け散るのです。
個人的評価:6/10点
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