『ミスター・ガラス』感想とイラスト 己を信じ抜く者こそが勝者なり

映画『ミスター・ガラス』サミュエル・L・ジャクソンのイラスト(似顔絵)

『アンブレイカブル』『スプリット』と連なるM・ナイト・シャマラン・シネマティック・ユニバース(略してMCU)ここに完結す!ヒーローとは?ヴィランとは?超人とは?そして自分とは?あなたは自分自身を信じ抜くことができますか?

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作品情報

ミスター・ガラス

  • 原題:Glass
  • 製作:2019年/アメリカ/129分
  • 監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
  • 撮影:マイケル・ジオラキス
  • 音楽:ウェスト・ディラン・ソードソン
  • 出演:ジェームズ・マカヴォイ/ブルース・ウィリス/サミュエル・L・ジャクソン/サラ・ポールソン/アニヤ・テイラー=ジョイ/スペンサー・トリート・クラーク/シャーレイン・ウッダード

参考 ミスター・ガラス – Wikipedia

予告編動画

M・ナイト・シャマランの最新作『ミスター・ガラス』日本版予告編

解説

不死身の肉体を持つハゲと、24もの人格を持つ坊主と、天才的な頭脳を誇りながらガラスの肉体を持つアフロ。特殊な能力を持つと自称する3人の男が収容された精神病棟で巻き起こる驚愕の事態を描いた、M・ナイト・シャマラン・シネマティック・ユニバース第3弾。

監督は『アンブレイカブル』『スプリット』に続く本作によってひとりユニバースをとりあえず完結させたM・ナイト・シャマラン。本作の撮影のために前2作の稼ぎから自宅までを抵当に入れて製作費を捻出したという執念には、インド人もビックリです。

主演は『スプリット』のジェームズ・マカヴォイ、『アンブレイカブル』のブルース・ウィリスとサミュエル・L・ジャクソン。その他の主要共演者も前作からちゃんと続投させている心意気。新顔の女性精神科医を演じるのは『バード・ボックス』のサラ・ポールソン。

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感想と評価/ネタバレ有

注意

本作の核心へとつながるネタバレは自重しておりますが、それとなくわかるようには記しておりますし、作品の性質上『アンブレイカブル』と『スプリット』のネタバレも含みますので、どうぞここからは自己判断でお進みください。

『アンブレイカブル』の続編(というか世界観を共有する作品)であるという事実を伏せ、その事実がさも凄いどんでん返しであるかのように偽装した前作『スプリット』を観たときボクはおおいに怒り、毒づき、当ブログで散々にこき下ろしました(下記リンク参照)。

しかし観てしまったものは仕方がないので、この勝手にひとりユニバース計画の落とし前をどうつけるのか?さして期待もせず、なんならまたクソミソに酷評してやろうと虎視を眈々にして近場のTOHOシネマズへと出かけたのですが、あらやだ、私もしかして泣いてる?

アレの復讐戦

19年前の列車事故をきっかけに覚醒し、不死身の肉体をもってヴィジランテ「監視人」として悪を成敗する男デヴィッド・ダン。世間を騒がす誘拐犯にして24の人格を有する超人ケヴィン捜索の過程で、ケヴィンともども警察に拘束されたダンは精神病院送りに。

そこで再会したのは薬漬けによって廃人同然と化したかつての宿敵イライジャ・プライス。彼ら3人の治療にあたることとなった精神科医のステイプルは、彼らの超人的能力を妄想であると指摘し、その根拠を論理的に示していくのだったが……ってのが簡単なあらすじ。

『アンブレイカブル』によってヒーローとヴィランの存在をリアルに検証し、『スプリット』によって超人が存在する根拠を示したシャマランが打って出た次なる手は、ヒーローの存在を反証することによってより強固にその存在を立証してみせた、信じる者は救われる。

「信じる者は救われる」といえば思い出されるのはあの悪名高い『レディ・イン・ザ・ウォーター』でしょう。実は本作はアレと同じ。言うなればアレの復讐戦。あの頃から何ひとつシャマランは変わっていないとも言えますが、それが訴えかける力には雲泥の差があると思うのですよね。

ないと困る人生の重し

本作『ミスター・ガラス』が訴えかけていたものとは「信じる心」。「そりゃいっつもやんけ」とも思いますが、ここまで信頼と疑心を掘り下げたうえで、自分という存在を自覚的に、肯定的に、最終的にはエモさ全開によって称賛した映画はなかったのではないでしょうか?

悪の存在を感知し、不死身の肉体をもってヴィジランテ活動をするダン。「群れ」と称する複数の人格を有し、その頂点に君臨する超人的人格「ビースト」によって不浄を正すケヴィン。人並外れた脆弱な肉体と頭脳の存在意義をヴィランへと見いだしたイライジャ。

彼ら3人のアイデンティの拠りどころは自分が超人であるという重し。誇りや矜持ではなく人生の重し。ないに越したことはねーがあるもんは仕方がねーしこれがないと俺っていったいなんなの?ってなるぐらいの人生の重し。つまりは存在意義。

そんな自身の存在意義を精神科医ステイプルの「治療」によってひとつひとつ否定されていく3人。幼少期のトラウマにおける妄想癖は精神疾患の代表例であり、あなた方が目撃、体験、実践した能力や奇跡はすべて科学的、論理的に説明可能であると。

自分が背負ってきた人生の重しをいともたやすく論破され、その重しを失ったことによってこれまで立っていた足場を見失い、ふわふわゆらゆら浮かび出す信頼と疑心のゆらぎこそが本作の肝なのだと思います。自分を自分たらしめていた重しを失った人間の立つ瀬なし。

自分が自分であるために

悪を嗅ぎ出しそれを成敗する不死身の肉体による自警を、超人的人格「ビースト」による不浄な世界の浄化を、自らの重しであり使命であり存在意義であると信じていたダンとケヴィンを襲うアイデンティティの喪失。ボクはこれに激しく動揺し、恐怖しました。

だって、それが現実であれ妄想であれ、自分が信じていた世界が頭のいい先生によっていともたやすく叩き壊されてしまったのですから(ここにいわゆる説得力は関係ない)。知識や権威の名のもとに疑心を植えつけられ、もはやこれまで見ていた世界を、自分自身を信じることができなくなった超人たち。

自分を信じられなくなるということは同時にスーパーパワーを失うということ。そして自分が自分ではなくなり、どこに立っているのか、どこへ歩いているのか、なんのためにいるのかわからなくなる不安と恐怖。そんなダンとケヴィンの姿に激しく動揺し、恐怖しました。

そしてそんなどん底へと叩き落されたふたりが再び立ち上がり、超人として、ヒーローとしてよりも、ひとりの人間として自分のあるべき姿を再発見し、それに殉ずる自分らしさをまっとうした姿に涙したのです。大嫌いなシャマランで泣くなどとは夢にも思っておりませんでしたが、ボクは恥ずかしげもなく泣いたのです。

悪の完全勝利三部作

自分が自分である重しを失い、何者でもなくなったダンとケヴィンを救ったのがイライジャ、もといミスター・ガラスだったというのは皮肉でもあり必然だったのですね。ステイプルによって治療を受けていたのは3人の超人。しかし彼女によって疑心を植えつけられたのは前のふたりだけ。

そう、イライジャだけは疑心をはねのけ、ただひたすらに自分の存在を信じ、肯定し、それを世間へと知らしめるための鋼の承認欲求を有し、その機会を虎視眈々と狙っていたわけですね。ゆえに本作のタイトルは『ミスター・ガラス(Glass)』であり、彼こそが真の主役にして唯一の勝者。

『アンブレイカブル』『スプリット』そして今回の『ミスター・ガラス』によって完結する、19年にわたる彼の野望の実現を描いた悪の完全勝利三部作だったというわけ。しかし悪の勝利が世界を闇で覆うのではなく、新たな可能性、希望の光を生み出したというのがまた本作の面白いところ。

あらやだ思わず本音が♡

ただそのためにミスター・ガラスを上回る悪、超人の存在を秩序の破壊者として排除していく秘密結社を登場させたのは、本作のオチへと到達するための必然とはいえ、ありきたりで面白くなかったですね。うん、結局のところいつもどおり映画としてはそれほど上手くも面白くもないのだ。

中盤の治療シーンが長くて退屈で暗いということを言っているわけではありませんよ。むしろボクはここが大好き。この長くて退屈で暗い問答こそが本作の肝なのですから。特に登場から一貫して纏うダンの闇の描写が、およそヒーローらしからぬ侘しさでたまりません。

セキュリティゆるゆるとか、アクション演出ヘタクソとか、もうひとつのイーストレイル177号における真実とかも、まあ百歩譲って些末な問題かもしれません。しかし譲れないというか惜しいというかもったいないなぁと思うのが、やっぱりラストの締め方ですよね。

秘密結社によって闇へと抹殺されてきた超人たちの存在を世間に知らしめ、信じること、自分らしくあることの大切さを啓蒙し、ひいてはそれがイライジャ・プライスという男、ミスター・ガラスという超人の存在意義へとつながるという理屈は理解できます。

しかしそれは違った方法でも実現できたわけで、ボク的にはもっと批評的ヒーロー映画としての仮面なんぞかなぐり捨てて、真正面からぶつかり合う超人たちの命の灯火によってそれを見せつけてほしかった。こんな小手先の王道外しに逃げるからテメーのことは好きじゃねーんだよ(あらやだ思わず本音が♡)。

だいいちあんなモノ(いちおう濁してます)が流出したところで、このご時世では「捏造だろw」と一過的に消費されて忘れられていくだけかと。肝心な彼らの能力にしたところでただの力持ち程度なのですから。そういうリアリティラインも計算ずくなんでしょうけど、そんなものよりもっと大事なことがあると思うんだけどなぁ……。

メタ・シャマラン映画

とまあ最後はいつもどおり文句の羅列と化してしまいましたけど、自分が自分である根拠を否定され、疑心を植えつけられた男たちが、もう一度自分自身を信頼する自己肯定映画として涙したことは事実であり、個人的にはシャマラン映画のベストだと思っております。

悪名高い『レディ・イン・ザ・ウォーター』と言わんとするところは同じだけどベスト。アレとの違いはシャマランの立ち位置なのでしょうね。アレをきっかけに落ちるとこまで落ちた男のそれでも変わらぬ自分への信頼。それは本作『ミスター・ガラス』ともつながります。

アメコミをメタ的に批評、再構築した映画というよりも、シャマラン自身をメタ化した映画として本作は意義があったのかもしれない。何があっても自分を信じ、自分の創造するモノを信じて疑わない甘えん坊。やっぱりボクはあんたのこと大嫌いだなぁ(おいおい)。

個人的評価:6/10点

DVD&Blu-ray

VOD・動画配信

『ミスター・ガラス』の前日譚『アンブレイカブル』と『スプリット』が定額見放題(『スプリット』はレンタル)なおすすめ動画配信サービスはdTV(2019年3月現在。最新の配信状況はdTVのサイトにてご確認ください)。

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衝撃の結末映画好きにおすすめ

コメント

  1. star より:

    どうも、レビューお疲れ様です。
    シャマランアンチ派筆頭とも言うべきスパイクロッドさんがこの作品に泣かされたという事実に驚きを禁じ得ませんが(笑)。

    自分はシャマランについては好きでも嫌いでもない、観ればそれなりに面白いことが多いからとりあえずは観るというスタンスで、
    ファンからもアンチからも石を投げつけられそうな中途半端な立ち位置でして。
    なので、スプリットのラストでブルース・ウィリスが登場した際、思わず劇場で「マジか・・・」と呟いてしまった際の感情は、
    喜びでも怒りでも無く、今更15年以上前の映画との繋がりを示してどうすんだろ、という困惑でした。

    ただ、今作を観て、なるほどこの年月があったからこそ作ることが出来た作品だったのだなと納得しました。
    僕はあのオチは、ヒーローの存在が子供や一部のマニアだけには留まらないほどに広く身近なものとして普及した今日だから出来たものだと思っています。
    そして、シャマランが一度どん底を味わいそこから這い上がってきたからこそ、上辺ではなく説得力を持って描けたのでは無いかと。

    まあ、細部の展開やら設定やらには相変わらず色々とツッコみたい箇所も多数ありましたが、なぜか今作に関しては鑑賞中あまり気になりませんでした。

    しかし、今シリーズのヴィランを演じたサミュエルが、ヒーロー映画シリーズブームの火付け役となったMCUでニック・フューリーを演じたというのは、
    偶然とはいえ何かしらの運命めいたものを感じてしまいますね。

    • starさん、コメントありがとうございます!

      今から思うと、こんにちのヒーロー映画全盛時代の礎はシャマランの『アンブレイカブル』が作ったとも言えますからね。そういう意味では『アンブレイカブル』は作品の好き嫌いは別として意義のあった作品だと思います。しかし、本作『ミスター・ガラス』では正直なところ時代に追いつかれてますよね。『アンブレイカブル』は時代の先を行っていたから価値があったけど、『ミスター・ガラス』ではもうすでに後続に追いつかれ、もしかしたら先を越されている可能性もあり、そういう意味での衝撃度、重要度としてはあまりボクは評価できません。

      しかし泣いてしまった(笑)。ボクが泣いた理由はやっぱり人の弱さなんですよね。ステイプルの言説に説得力があるかどうかは問題ではなく、そういう疑心の種を植えつけられた人間の心の弱さ。「何をバカな」と思いながらも心の隙間に潜り込み、ふとした時に浮上してきて人を一歩も動けなくしてしまう悪魔のささやき。そんな弱い人の心と、それに打ち勝つ人の強さに思わず涙したのです。これをこういう風に描くことができたのも、きっとシャマランがどん底を見てきたからでしょうね。そういう意味ではメタヒーローとしてよりも、やはりメタシャマランとして意義のあった作品ではなかったかと思います!