『鏡』感想とイラスト タルコフスキーの芸術的オナニー映画

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映画『鏡』のイラスト

眠いですか?同感です。ボクも眠いです。でもこれが芸術映画というものなのです。これを最後まで眠らずに観て、したり顔でウンチクたれられるようになったら、あなたもボクも立派なシネフィルの仲間入り。

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作品情報

  • 原題:ЗЕРКАЛО/The Mirror
  • 製作:1975年/ソ連/108分
  • 監督:アンドレイ・タルコフスキー
  • 脚本:A・ミシャーリン/アンドレイ・タルコフスキー
  • 撮影:ゲオルギー・レルベルグ
  • 音楽:エドゥアルド・アルテミエフ
  • 出演:マルガリータ・テレホフ/オレーグ・ヤンコフスキー/イグナート・ダニルツェフ

参考 鏡 (映画) – Wikipedia

解説

監督自身の記憶の断片と、ロシアの近現代史を独自の手法で描き出したとかしてないとか、正直もう何がなんだかよくわからない自伝的オナニー映画です。

監督は『惑星ソラリス』のアンドレイ・タルコフスキー。彼のフィルモグラフィでも中核をなす代表作らしいです。難解すぎて当局のお怒りを買ったという話ですけど、さもありなん。芸術家というのはいつの世でも厄介なものです。

出演者は『遠い日の白ロシヤ駅』のマルガリータ・テレホフ、『ノスタルジー』のオレーグ・ヤンコフスキーなど。

あらすじ

言語症の回復訓練を受けている吃音の少年。担当する女医は少年に暗示を与え、女医の言葉をまるで鏡像のように繰り返したとき、彼は普通に話すことができるようになっていた。そしてタイトルバック。

時は移り、この映画の監督アンドレイ・タルコフスキーの少年時代。若かりし日の母(マルガリータ・テレホフ)が医者だと名乗る見知らぬ男と家の庭で会話をしている。立ち去る男の背中を風が吹き抜けていく。朗読される父の詩。

過去、現在、歴史、イメージ。さまざまなものが複雑に交錯するこの映画は、いったいどこへ向かおうとしているのだろうか……。

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感想と評価/ネタバレ無

『惑星ソラリス』『僕の村は戦場だった』に続く、アンドレイ・タルコフスキーの難解芸術映画鑑賞祭り第3弾であります。

前述した2作品はどちらも大好きで、いよいよボクもこういう映画についてしたり顔で語れる映画力が身についてきたのかと、シネフィル気取りで鼻高々にしておったものの、ものの見事にその鼻っ柱をへし折られてしまいました。こいつぁ皆目わかりませぬ。

難解催眠自慰映画

オープニングから意味不明すぎて途方に暮れてしまいます。吃音症の少年に何やら催眠術めいたことを施す女医が出てくるのですけど、はたしてこれになんの意味があるというのか?

暗示によって自己の内面の力が呼び起こされる?記憶の深層?オウム返しは鏡像の意味?さっぱりわかりません。すでに嫌な予感をヒシヒシと背中に感じておる次第。

その後もわからないシーンの連続で、特に後半は完全なる睡魔との死闘です。おそらくは監督の記憶、深層、イメージを具現化した自伝的内容なのでしょうけど、他人の思い出を見せられたところでこちらはいったいどうしたらいいのでしょう?

マスターベーション映画にも程があるんとちゃいますか?

イメージの怪物

しかし、そのイメージを象徴的に表現していく魔術的映像美の数々にはやはり抗しがたい魅力があり、単なるオナニー映画として「家でひとりでシコッてろ!」と切り捨てるわけにはまいりません。まあそれが眠りへといざなう要因のひとつでもあるのですけどね。

草原を、林を吹き抜けていく風。燃え盛る小屋とそれを見つめる人々との構図。水が滴る室内を徘徊する貞子的な母親像。唐突に挿入される戦争の記録映像。そこにいたはずの人物の突然の消失。残り香のゆるやかな消失。

唇を荒らした少女。母親と妻、幼い頃の自分と息子、現在の自分と父親との鏡像の関係。母とともに赴いた疎開先の田舎。父親に抱かれた自分。鏡、浮遊、音、時間、流れ。

どれが現在で、過去で、現実で、妄想なのか?複雑に干渉、侵食しあっているのでどうにもわかりにくいのですが、そのすべてが結局のところタルコフスキー自身の記憶へとつながるわけですね。

すべて彼の見たもの、聞いたもの、感じたことのイメージなわけであり、極論すればすべてが彼にとっての「今」であり、「現実」なのだと思います。

結論「わからない」

ところで、劇中で何度か朗読される詩はいったい誰の作なのか?ロシアを代表する著名な詩人なんだろうなぁと思っていたら、なんてことはない、タルコフスキーの父親であるアルセニーの作でありました。

タルコフスキーの幼少期に父は家を出て行ったらしいので、ここからうかがえるのは父への渇望でしょうね。対して母への愛憎。まあ「知らんがな!」って話ではありますけど、おそらくはそういうことなのでしょう。

いちおうヘタクソな解読というか単なる感想文を書き散らしてはみたものの、結局のところは「よくわからない」としか言いようがありません。っていうかわかる人っているんですかね?

ちゃんと解説、解読できる人の批評を読んでみたいですけど、それもまた小難しそうで尻込みしてしまいます。頭が悪いと難儀をしてしまいますわ。

というわけで、タルコフスキーの難解映画鑑賞祭り第3弾でしたけど、今回は初めての不発に終わってしまいました。最もタルコフスキーらしい作品ということで期待をしていたのですけど、シネフィル気取りの自分には少々ハードルが高すぎたようですね。

とりあえずもう一本『ストーカー』も観る予定なのですけど、どうでしょうかねぇ?引っかけて、つまずいて、泥だらけの傷だらけでのた打ち回るという結果になりはしないかと、いまから恐怖でなりません。

個人的評価:4/10点

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コメント

  1.  私もなんのこっちゃ解りません。それに監督もワザと解り難い映画を作っているんですから、したり顔で「理解できる」などと言ったらアンドレは草葉の陰で「観ながら居眠りして夢でも見たのか」と苦笑いするでしょう。

  2. スパイクロッド より:

    晴雨堂ミカエルさん、コメントありがとうございます!
    この映画のテーマはこうで、あのシーンは○○を表現してて、
    なんてしたり顔でボクも解説してみたいですけど、
    わからんもんはわからんとしか言いようがないですからね。
    わからなくてもおもしろい映画はありますけど、
    さすがにこれはボクにはハードルが高すぎました。

  3. イコリモフスキー より:

    あなたは充分理解できてるとしか言いようがない。
    しかしながらこんなにもエンタテイメントに背を向けたフィルムを作って市場に出しても、収益など上がらないと判っていながらもやってしまったあたりの事情は知りたいですね。
    借金を返さねば!と、タルコフスキーの日記によく出てきてたので関係あるかも。