『この世界の片隅に』感想とイラスト 戦争に勝る日常

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昭和20年、広島・呉。すずさん、あなたはそこでまさに存在し、精一杯生きてましたね。あなたの「ありゃ~」にどれだけ心癒されたことか。すずさん、すずさんもしかして、今でもそこにいますか?

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作品情報

『この世界の片隅に』

  • 2016年/日本/126分
  • 監督・脚本:片渕須直
  • 音楽:コトリンゴ
  • 声の出演:のん/細谷佳正/尾身美詞/牛山茂/新谷真弓/稲葉葉月/小野大輔/潘めぐみ/岩井七世

参考 この世界の片隅に (映画) – Wikipedia

予告編動画

解説

ぼけっと何も知らず、笑って死なせてはくれない現実の厳しさのなかで、それでも人は笑って生きたい、生きていけるというやさしい現実をも描き出したアニメーション映画です。原作は『夕凪の街 桜の国』も2007年に映画化されたこうの史代の同名漫画。

監督はこの原作に惚れ込んだ『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直。製作発表は2012年で、2015年からクラウドファンディングにより資金調達を開始。最終的な支援者は3374人に達し、集まった資金は3622万4000円。これは国内クラウドファンディングの最高人数、最高金額だとのこと(映画部門)。

主演は『あまちゃん』の能年玲奈あらため“のん”。芸能ゴシップというものに疎いボクでも知っている、事務所独立に絡む強制的休業状態、そして本名剥奪による改名後初となる本格的仕事復帰作品です。この映画による芸能活動復帰には何か運命的なものを感じますな。

あらすじ

昭和19年2月。広島市江波で暮らす絵が得意な18歳の少女すず(のん)に、突然の縁談話が舞い込む。あれよあれよというまに軍港の街、呉へと嫁ぐことになったすず。そこで彼女を待っていたのは、北條周作(細谷佳正)という無口だけどやさしい青年だった。

こうして北條家に迎え入れられたすずは、極度の天然ボケとおっとりした性格によりたびたびトラブルを巻き起こすものの、見知らぬ土地で必死に嫁としての仕事を頑張り、徐々に北條家とも打ち解けながら、忙しい毎日を過ごしていくのであった。

しかし戦況は刻一刻と悪化していき、配給物資も次第に減っていくなか、不器用ながらも懸命に北條家の暮らしを守っていこうとするすずであったが……。

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感想と評価/ネタバレ有

漫画もアニメもほとんど興味がなく、当初は観に行く予定には入っていなかった『この世界の片隅に』。しかしこの映画が公開されるやいなや、ボクのTwitterタイムライン上に激賞の嵐が吹き荒れておるではないですか!なんだかよくわからんけどそんなに凄い映画なの?

というわけで調べてみたら、クラウドファンディングで資金を集めた映画らしく、この原作の映像化を強く望んだファンの想いが結実したという経緯にまず強く惹かれましたね。そして主人公すずの声を大きな力によって消された芸能人のん(能年玲奈)が演じているという事実。

ボクは日本の芸能界にもさして興味がなく、彼女がブレイクするきっかけとなった例の朝ドラも、往年のヤンキー少女漫画を映画化した『ホットロード』も観ておりません。だってなんの興味もなかったから。んなわけで、能年玲奈という名前と顔の一致すらできない始末。

名前と顔の一致ができる前にテレビから消えてしまった能年さん。そんな彼女が“のん”と改名し、本格的仕事復帰第1弾となったのがこの映画。嘘か誠かわかりませぬが、彼女の主演によって見えない力が働き、大手マスコミはこの映画の宣伝に積極的ではないとかなんとか。

今でこそコロコロ転がってトゲがなくなり、まんまるになってしまったボクですが、元来はトゲトゲのパンク魂を持っていたことをついさっき思い出しました。腐った大人になんか負けるんじゃねえ!てなわけで、応援がてらコロコロ転がりながら観てまいりましたよ。

前置きが長くなってしまいましたが、ようやくこっから映画の感想です。あ、ちなみにネタバレしておりますので、未鑑賞の方はどうぞご退却を。んなもん気にしないって方はどうぞ最後までお付き合いください。

正しい反戦映画のかたち

物語は絵を描くことが大好きな18歳のすずさんが、広島の江波から呉へと嫁いできて、戦時下の苦しい生活のなかでも懸命に生きる日常を描いたもの。もの凄く乱暴に要約するならば、戦争という悲劇に蹂躙される市井の人々の姿を描いたいわゆる反戦映画のたぐい。

しかしこの映画は『火垂るの墓』のような現代的視点で当時のリアリティを無視した作品ではなく、あくまであの時代に生きた人々のリアルな生活、心情、想いへと寄り添った真にリアルな戦時下映画なのです。これがこの作品に大きな支持が集まっているゆえんでしょう。

主として描かれるのはあくまであの時代を懸命に生きた人々の、戦争も日々の営みの一部として存在した日常であり、笑いと、温かさと、やさしさと、そして悲しさが詰まった我々と同じ普通の人間の普通な毎日なのです。ただ違うのはそれが戦時下というだけ。

これがこの作品のミソであり、素晴らしいところ。声高に戦争反対を訴えているわけでも、悲劇を強調しているわけでもなく、あくまで彼らの日常、笑顔、小さな幸せに寄り添うことにより、それが奪われる悲しさ、それでも人は生きていけるたくましさを描く。

『火垂るの墓』が作為的な悲劇のお涙頂戴反戦映画だとしたら、『この世界の片隅に』はなるだけ無作為を演出した笑いと涙と勇気の日常奪還反戦映画だということ。とうとう日本の戦争映画もここまで進化してきたか。なにげに『火垂るの墓』をディスっているのは内緒にね。

片渕須直という監督

戦時下に生きた市井の人々の日常を丁寧に丁寧にすくい取った監督の手腕。徹底した時代考証やリサーチによる半端ではないリアルさ。本当にアニメは門外漢でして、片渕須直という監督もまったく存在を知らなかったので、ちょっとWikiさんで調べてみました。

どうやらかなりベテランのアニメ演出家のようで、かかわった作品を調べていたら知っている作品がたくさんありましたね。そして納得しました。ボクはある時期からアニメをほとんど観なくなったのですけど、子供の頃に好んで観ていたのは「世界名作劇場」。

ロボットも、怪獣も、魔法も、戦いもないひたすら日常に寄り添った地味な生活ドラマ。これがボクは大好きだった。そして片渕監督はこの「世界名作劇場」の作品に数多くかかわっていたのです。

『愛少女ポリアンナ物語』『私のあしながおじさん』『トラップ一家物語』『若草物語 ナンとジョー先生』『七つの海のティコ』、すべて観ておりました。そして関西出身者にとってのバイブルともいえる日常ドラマ、『じゃりン子チエ』も手がけていたという事実。

これらの作品で培ってきた経験と技術、そしてこだわりが、『この世界の片隅に』の丁寧な日常描写、絶妙の間とユーモア、そして方言や地域性へと結実したのでしょうね。それらが見事に合わさることによって、簡素な絵でもこれだけのリアルさを演出することができたのです。

戦争そのものを描かずとも戦争を語ることはできる。むしろ我々の現実と地続きの日常を、市井の人々の暮らしを、ささやかな幸せを、困難を、奮闘を丁寧に丁寧に描き出すことにより、その背後でうごめく戦争という邪悪をより際立たせることもできるのです。

幸福な日常を侵食するあの日

戦争中だからといって、みんな「鬼畜米英!」と叫んで竹槍突き刺したり、教師や上官に張り倒されたり、ひもじい生活で泣いて苦しんで恨んでわめいていたわけではないのです。戦争中でも生活は生活、日常は日常として淡々と進行されていくのですから。

ささやかな幸せと笑いをもって。この映画でその中心にいたのが主人公すずさん。彼女の天然ボケともいえる呑気なほがらかさに皆さん心癒され、思わず笑わされたことでしょう。ボクも声を出して笑ってしまいましたし、場内も数えきれないほど笑いで包まれておりました。

いわゆる反戦映画でこれだけ笑いが起こるのも珍しいこと。これだけでもこの作品がいかにオリジナリティあふれるものかおわかりいただけると思います。しかしやはりこれは戦争映画。どれだけこの一瞬が笑いに包まれようと、我々はその先の未来を知ってしまっている。

すずを中心としたこの家族の日常に心癒され、どれだけ笑わされようとも、やがて訪れるあの瞬間の日時を我々はもうすでに知ってしまっている。昭和20年8月6日8時15分。止まってはくれない時の流れ。日ごとに増えていく空襲警報。歴史はいまさら変えられない。

抜群のテンポで繰り出される日常描写の雨あられは、同時に止めようのないカウントダウンでもあったのです。彼らの日々の暮らしが、日常が続けば続くほど、彼らにとっての逃れられない未来、我々にとっての忘れられない過去へと、「あの瞬間」へと接近してしまうのです。

喪失と獲得

変えられないあの瞬間へと突き進む映画としては、黒木和雄監督の『TOMORROW 明日』を思い浮かべますが、実はこの映画そこへと向かってはいなかった。ちょっと嫌な予感はしていたのですけど、やや不意打ち的に起こったその瞬間は喪失と獲得のためのターニングポイントでありました。

この映画の主人公すずさんは、ホントにのほほんとした笑顔のかわいい女性で、彼女の能動的欲求といったら好きな絵を好きなときに好きなだけ描きたいということぐらいなのですよね。ここには表現欲求も承認欲求もなく、ただひたすら純粋に描きたいの(うらやましい)。

そんな彼女のすべてともいえる絵を描くことが奪われた瞬間。周作の姉、径子の娘(晴美)を救えなかった罪悪感も大きいですが、それ以上に彼女の翼がもがれたに等しい右手の喪失。これは彼女の呑気なほがらかさや、笑顔を奪うことでもあるのです。

小さな幸せのなかを生きていた彼女のすべてを奪うに等しい試練。しかし、失うものがあって初めて得られるものもある。喪失と獲得。それは径子との関係であり、周作との絆であり、失うことによって得た強さであり、あるがままの自分を受け入れる決意でもあるのです。

受動的な存在はとかく軽く見られがちですが、そんな自分を受け入れ、周囲の人々を幸福にさせる笑顔の存在であろうとする覚悟。大丈夫。すずさんの笑顔はみんなを幸せにしてきたのだから。きっとこれからも大丈夫。大丈夫。

その証拠に、あなたの右手が失われたことは悲しいことだけど、そのなくした右手によってひとりの新しい家族を得たのだから。この子の存在はきっとあなたに、周作に、径子に、家族みんなに笑顔を届けてくれるはずですよ。

“のん”という女優

そんなすずさんにまさに憑依したといっても過言ではない、能年玲奈あらため“のん”の驚くべきハマり具合。幼少時の声を聞いたときは「コレジャナイ」感が強く、彼女の演技力に一抹の不安を抱えていたのですけど、ふと気づくとまったく違和感がなくなっていた。

っていうか、気づいたときにはこの声こそがすずさんであり、“のん”という女優が声をあてているのではなく、いま目の前で精一杯生きている“すず”という存在そのものとしか思えない、驚異の巫女的憑依能力。けっして上手くはないのに納得させてしまう謎の説得力。

“のん”という女優がいかなる女性なのかボクはまったく知りませんが、彼女の「ありゃ~」には驚くべき生命力が宿っていた。彼女をすず役に起用した監督の鑑識眼もたいしたものです。そしてこの起用はまさに運命としか呼べない奇跡的符合をも見せているのですよね。

“のん”とは“すず”であり、“すず”とは“のん”である。居場所を、名前を、存在そのものを消されかけたのんの境遇とは、この映画におけるすずの境遇と見事に合致します。すずはこの映画で喪失と獲得を体験し、のんはこの映画に出演することにより失ったものを取り戻した。

のんもすずと同じくけっして器用な人間ではないでしょうが、この映画と、そしてすずという女性と運命的に出会ったことにより、きっと新たな自分の居場所を、仕事を、自分自身というものを見つけることができるでしょう。すずがそうしたように、きっとのんも……。

信じるだけでは救われない

モノローグの多用や、ファンタジー的要素の挿入(あの毛むくじゃらのバケモノは鬼いちゃん?)、タイトルの意味が判明するセリフの自然ではない違和感など、あまり好きではない演出やまだよく理解できていない部分もあるのですが、いま観るべき映画であることは確か。

すずを中心としたのほほん生活ドラマでありながら、リアルな、あまりにリアルな戦闘シーンを描いた点も高評価。なんつうんですかね?高射砲?あれの破片が地上に降り注いでくる感じの戦慄!あんな描写初めて観ました。兵器マニアだという監督のこだわりなんでしょうね。

この映画で最も胸打たれたシーンはどこかと聞かれたら、う~ん、やっぱ、玉音放送でしょうかね。あのシーンですずが見せた初めてといってもいい心の叫び。怒り。慟哭。この娘にこれを言わさす片渕監督って、やっぱり凄く誠実で真摯な方なのだと思います。

一歩間違えば引かれる可能性が高いのに、あえて彼女にこれを言わせた。でもね、たぶんね、これが当時の偽らざる現実なのだと思います。それにあの怒りの言葉は額面どおりのものだけではなくて、その裏側に複雑な要素が絡んだ非常に複合的な怒りなんだと思います。

なぜここでやめる?だったらなぜ始めた?誰が!?なんのために!?信じていたのに!信じて戦っていたのに!何も知らず、ただ信じ続けていられたらどれだけ楽だったか……。

個人的評価:7/10点

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コメント

  1. 通りすがり より:

    原作を読んでると分かるけど色街から出れないりんとの交流がこの作品の大きな要素の一つになっていたのに何故か映画では大幅にカットされてしまったのが理解できない。時間的制約なのかな?海外版トレーラーにはその映像もあったんだけどな。おまけで映画の最期にりんの生い立ちが口紅で書かれていたがアレだけでは原作知らない人は意味がわからないところが多いと思う。映画見て興味持った方は是非原作を読んで欲しい

    • spikerod より:

      通りすがりさん、コメントありがとうございます!

      これはもう泣く泣く切ったというのが正直なところでは?だからこそエンドロールでああいうかたちながらもリンのことを忘れていないことを示したのだと思います。カットの理由は予算の関係、上映時間、いろいろとありそうですが、この映画を機に原作も読んでほしいという片渕監督の想い、狙いもあるようなので、通りすがりさんの最後の言葉自体が監督の演出意図だったのかもしれません。例の太極旗のシーンにおけるセリフのカットも同様に。ボク的にはこの大幅なカットによって、逆にこの映画は素晴らしいものになったのではないかと思っております。

  2. のほうず より:

    プロデューサーからは、長くなるようならそれぞれ90分の前編・後編に分けたらどうかという提案もあったそうですが、それだと「日常編」「戦争編」のように分断され、本作が現代と「地続き」ではなくなってしまうのを監督は嫌ったようですね。で、カットを余儀なくされたようですが、そのエピソードのモチーフだけは残されているあたりに本作がカルト化する予感があります。でもねぇ、いまでさえ盛りだくさんなのに、すずさんと周作、りんさんの微妙な三角関係とか、それにまつわる炭団の「代用品」のエピソードとかが加わると、もうしんどいすよ。映画と原作漫画を行ったり来たりするのがいいんじゃないですかね。

    • spikerod より:

      のほうずさん、コメントありがとうございます!

      なるほど。プロデューサーとのそんなやり取りもあったのですね。確かにそれではこの映画の良さが損なわれるような気がします。あくまで2時間前後というスタンダードな映画の枠内のなかでの取捨選択が抜群にハマった傑作だと思いますので。リンさん絡みの三角関係、例の太極旗のシーンにおけるセリフのカットは、当初の片渕監督の本意ではないかもしれませんが、そういう制約が結果的にはプラスに働いた、いや、その制約を逆に活かした演出を監督が模索した結果なのかもしれませんね。おっしゃるようにそのへんの含みを、名残をあえて残すことによって、現代との地続きだけではなく、映画から原作への入り口、そして逆に原作から映画へと戻ってくる帰り道も用意したわけですから。そういう意味では原作の主要エピソードの大胆なカットはボクは英断だったと思います。

      だって全部そのまま再現したら本当に盛りすぎですもんね。2時間の映画では収まりきらない、描ききれないですよ。監督のインタビューで読んだ気がするのですけど、「あれ以上すずさんにいろんなものを背負わせたくなかった」というのも、とてもやさしい考えで好感がもてます。映画は途中から原作とは異なるパラレルワールドを突き進んでいくわけですけど、これはひとえに監督のやさしさですよね。おっしゃるとおりそこまで抱え込んだらしんどいですもん。太極旗のシーンもまたしかりで、あそこで日本の加害者としての責任まですずさんに背負わさすのは過酷すぎます。あえてセリフにしなくても十分伝わりますしね。ちょっと引っかかったら自分でそれこそ調べたり、原作を読めばいいわけですから(恐ろしい勘違いしている輩もおるようですが)。

      というわけで、長い返信になってしまいました。まさかのほうずさんからコメントをいただけるとは思っていなかったので、調子に乗って浮かれた次第(笑)。実は残念なことに、ボクはまだ2回目に行けてないのですよね。早く行きたいんですけどなかなか時間がとれなくて。なんとか今年中にはすずさんとの感動の再会を果たしたいと思います!ではでは!

      • べん べるとるっち より:

        横からすみません、ご存知かもしれませんがリンさんのくだりの件をば。
        先日 岡田斗司夫ゼミ12月4日号 、ゲスト真木さんの回で詳細が触れられてまして、ざっくり言いますと予想通り思うように資金が集まらなくて当初2時間30分の尺で製作を進めたが無理っぽいので、完成を前提に制作費縮小して尺を泣く泣く削って今の2時間バージョンで仕上がったみたいです。
        それで削ったのがリンさん関連の30分。片渕さんとしてはなんとかリンさん入れたかった思いもあってエンドロールの部分で入れたんでしょうかね!?コレはコレでハマってたのでアリと思いますよね。
        興行的にも2時間くらいが1日の回転数を考えるとギリな感じでもあり、作品のクウォリティも別に問題なく申し分ない出来は周知の通りなんですが・・・
        2時間半の絵コンテを観てる真木Pさん曰く「今よりもっとすごい」とか言われると評価は別にして観たいのは自分としても本意ですねやはり。
        片渕監督、真木Pさん等の製作陣は30分プラスの2時間半版を作りたい気持ちは大いに持ってるので、もしかしたら完成の報があるかもしれない期待を少しだけ抱いて静観したいと思います。

        • spikerod より:

          べん べるとるっちさん、横からのコメントありがとうございます(笑)。

          岡田氏の動画は観ておりませんが、真木Pとの対談の概要はどこかで読みました。すべてが思いどおりにいく映画製作なんてのは夢のまた夢ですから、いろいろな制約のもとでこれだけの傑作を作り上げた事実に対して素直に賛辞を送りたいですね。真木Pは確か、「興収10億いったら完全版を作る!」と宣言しておられたと思うのですけど、爆発的に上映館数が増えると言われている来年の初頭にはもう軽く超えていそうですね。ということは夢の完全版はもうすでに現実に!?しかしいわゆる完全版、ディレクターズカット版のたぐいには常々否定的な立場の人間でして、観たいような観たくないような、実は複雑な心境だったりするのであります。

          ところで話は変わりまして、べるとるっちさんはその名前から察するにベルナルド・ベルトルッチ監督のファンだと推察できるのですけど、昨今、巷を騒がせていた例の『ラストタンゴ・イン・パリ』事件には心を痛めていたことでしょう。何が真実で何が嘘なのか?当事者のふたりは死亡しているので真相は藪の中のようになってしまいましたけど、なんとも微妙にデリケートな問題でボク自身答えは出ておりません。それをいったらヒッチコックは?『エクソシスト』のウィリアム・フリードキンは?キューブリックは?と、いろんなところに波及しそうですしね。あ、全然見当違いのことを言っていたらゴメンなさい。最近で最も衝撃的なニュースでまだ心がざわついておりまして。

          • べん べるとるっち より:

            あっ、このハンドルよくベルトルッチ監督の事を言われるのですが、実はゲームキャラでバイオハザード2にいたben bertolucciなんですね。
            まぁそれはどうでもいいとしまして(笑 自分もディレクターズカット版自体は微妙でソフト化で特典としての存在で良いのかなくらいですね。
            製作資金回収もみなさんのおかげでほぼ達成出来そうという、もう片渕監督は草を食べなくてよくなったらしいです(笑
            なんかこの作品は色々奇跡的なものが働いてペイ出来て良かったなぁとしみじみ思います。完成していただいただけでもありがたい限りですね。
            で、ラストタンゴイン〜の件ですが、何故今頃?な感じで肝心の当事者が居ない現在真相は藪の中なのはしょうがないっすよね(苦笑
            ベルトルッチ監督の証言も不明瞭な部分がある以上結局どうなのとグレーなので
            コレは誰も得しないのでもう良いかなとも思います。
            同じくそんな事言ったら当時のハリウッド界隈では少なからず大小色々あったと思われますから、下手したらもっととんでもない事があったかもしれず墓場まで持って行かれた方も居たのかもしれないと思ったら夜も寝られませんです(笑

          • spikerod より:

            あら!これまたとんでもない勘違いをしていて申し訳ありません(汗)。ボクはまったくのゲーム音痴でして、そんなキャラクターがいたことはまったく存じませんでした。いきなり変な質問を投げかけられてさぞ困惑されたことでしょう(笑)。重ねてお詫び申し上げます。

            『この世界の片隅に』の話でしたね(笑)。そうですか、興収だけでもうほぼペイできそうな勢いなのですね。良かった良かった。ヒットした映画の常で何やら外野は騒がしいですが、それだけ多くの人間が観て、批判なり絶賛なり、さまざまな感情をいだくことができるのもまた傑作のあかし。それだけ間口の広い映画だったということでしょう。完全版製作の話ですが、ボク的にはもうそんなのいいから、黒字になったぶんは片渕監督の次回作に回してくれって感じですね。これ以上の傑作を手にするために!

  3. spikerodさんはこの映画の絵をどう書いたんだろう?
    と気になって来てみました。
    凄いっすよね!相変わらず上手いっす!
    また来ます!

    • spikerod より:

      いごっそう612さん、コメントありがとうございます!

      普通にきれいなすずさんを描いてもよかったのですけど、やっぱりあの「ありゃ~」顔を描きたかったので、いろいろ探してこのかたちに決まりました。でもですね、実写をデフォルメして描くより、すでに「絵」として描かれたものを真似するほうがはるかに難しいんですよ。人の絵柄を真似るのって凄く難しいし、それを自分なりにアレンジするのも難しい。まあひとえにボクの技術が足らないだけかもしれませんけどね(笑)。またいつでも遊びにいらしてくださいね!ボクも定期的にそちらにはお邪魔させてもらっているのですよ。マメじゃないんで無言で覗いてるだけなんですけど(笑)。これからは積極的にほかのブログにも絡んでいこうかな?

  4. ブッチ より:

    映画館になかなか行けない事情があり、どうしても昔の記憶やDVDを鑑賞してのコメントなのでいつも妙なタイミングですみません。
    この映画は評判も良く、少し敬遠してたのですが、DVD鑑賞して素晴らしかったのでコメントさせてください。

    丁寧に描かれていく戦時下の日常、戦争が落としていく暗い影、そこに明るくひたむきに生きている人々。この映画の何がこんなに心に響くのでしょうか。なぜこんなにすずさんが愛おしいのでしょう。
    すずさんは何も拒まない。
    「ありゃ〜」と失敗しながらも一つ一つゆっくりと時間をかけて世界を自分に取り込み、自分を世界の一部にしていく。全て受け入れていく生き方。この映画は反戦映画ですが、それ以前に小さな一個人の世界との関わり方を描いているのだと思います。
    一見、受動的で消極的なすずさんで周りからは揶揄されたりしますが、目の前の世界に純粋に驚き、感動し、苦しみ、絵を描く事で丁寧に自分の一部にしていくその姿は、成長過程の子供のように人間の姿としてとても自然で大事なことに感じられます。
    だからこそ、大切な人を奪い、世界と関わるための大事な右手すら奪ってしまう受け入れがたい世界の残酷さと、それすらも受け入れてまた日常を生きていく人間の強さに涙が出るのだと思います。
    戦時の過酷な状況下の人々を描いていますが、そのまま日常を生きる我々へのメッセージであり、すずさんはすぐそばににいるような、また、いて欲しい気持ちになるのだと思います。
    周辺の情報には疎いですが、確かに唐突に感じるエピソードや、セリフが突然賢くなったりと違和感はがある所も見受けられましたが、それ以上に視点や語り口が素晴らしく、とても大切な映画だと感じました。
    スパイクロッドさんもイラストレーターとして共感する部分もあったのではないでしょうか?

    • ブッチさん、コメントありがとうございます!

      ボクもあまり興味はなかったのですが、Twitterなどでの激賞に釣られて観に行って、映画館で号泣した口です。あまり邦画でこういう切り口の反戦映画って観たことがなかったので非常に新鮮でしたよね。それを可能にしたのがブッチさんが言及しているすずさんの存在。彼女のスピード感っておよそ2時間でドラマを描く映画においては非常にのんびりしてるのですが、それが逆に現実的で、我々のスピード感に実は近いのではないかと思えます。そのリアリティが、生活感が、すべてを受け入れる強さが、我々の心を打ったのだと思います。

      ところで、いちおうは絵をかく人間としてボクがすずさんにいだいた感情としては、「嫉妬!」ただこの二文字に尽きるかと思います(笑)。ああ~ボクもあんなふうに絵が描けたらなぁ~。