死神とのチェス。それは無意味な闘いの幕開け。終わりの始まり。この勝負が決するとき、七つの進軍ラッパが鳴り響き、我々に最後の審判が下される。お前はもちろん地獄行きだ!
作品情報
『第七の封印』
Det sjunde inseglet/The Seventh Seal
- 1957年/スウェーデン/97分
- 監督・脚本:イングマール・ベルイマン
- 撮影:グンナール・フィッシェル
- 音楽:エリク・ノルドグレン
- 出演:マックス・フォン・シドー/グンナール・ビョルンストランド/ベント・エケロート/ニルス・ポッペ/ビビ・アンデショーン
予告編動画
解説
足りない頭で人生の意味について考えをめぐらすともれなく死神がついてくる、宗教哲学難解芸術映画の傑作です。第10回カンヌ国際映画祭の審査員特別賞受賞作。
監督は『仮面/ペルソナ』『狼の時刻』のイングマール・ベルイマン。主演は『エクソシスト』のマックス・フォン・シドー。共演はベルイマン映画の常連グンナール・ビョルンストランド、ビビ・アンデショーン、ベント・エケロートなど。
あらすじ
10年にわたる十字軍遠征から故郷のスウェーデンへと帰還した騎士アントニウス(マックス・フォン・シドー)。従者のヨンス(グンナール・ビョルンストランド)と海岸で一時の休息をとっていたところ、不穏な気配を感じてそちらへと目をやる。
そこに立っていたのは不気味な黒装束に身を包んだ死神(ベント・エケロート)だった。アントニウスに自らの死を宣告する死神に対し、彼はしばしの猶予を求めてチェスの対決を申し入れる。死が怖いのではなく、失われた信仰を取り戻すためだ。
勝負が決するまでの猶予を得たアントニウスは、妻の待つ居城へと歩みを進める。その過程で彼が見たものは、黒死病(ペスト)の蔓延、堕ちた聖職者、疫病を神罰と考える狂信者、火あぶりを待つ魔女など、目を覆いたくなる光景ばかりだった……。
感想と評価/ネタバレ有
『夏の夜は三たび微笑む』の批評と興業、両面での成功により、自由な映画制作ができる環境が整ったベルイマン。満を持して発表したのがこの『第七の封印』というわけ。んなもんで徹頭徹尾やりたい放題の好き放題。
はるか昔に観た『処女の泉』がチンプンカンプンで、どうにもこの巨匠の映画には尻込みしていたのですけど、この『第七の封印』の好き勝手し放題な面白さには見事に脳天かち割られました。「知恵熱出るほど面白い!」と。
以前にやっていたブログでも興奮の感想を書いたのですけど、今回こちらでも記事にするにあたって久々に再見してみました。やはりバッキバキに凄い映画です!それではネタバレ込みでボクなりの感想、解釈、考察をば。
バッキバキのオープニング
長年にわたる十字軍の遠征で心身ともに疲弊しきった騎士アントニウス。故郷のスウェーデンへとようやく戻り、揺らいだ信心を確かめるかのように祈りを捧げる彼のもとに、「あら、おかえりなさい」てな気軽さでひょっこり現れる死神さん。
このひょっこり加減がまず最高ですし、ふたりのきわめて冷静な会話、「チェスがお好きだとお聞きしましたが?」「好きです。やりましょう」というシュールすぎる展開にも爆笑をこらえきれません。そして黒と白、明と暗、光と闇がバッキバキに決まった硬質な映像。
映画史に燦然と輝く秀逸なまでのオープニングです。宗教、哲学、芸術、そしてシュールな笑いが込められた、ほかに類を見ない奇想天外な難解爆笑映画であることが、すでにこの時点ではっきりと示されておるのです。
騎士アントニウスを演じた若き日のマックス・フォン・シドーの神経質なセクシーさ。死神ベント・エケロートの一度見たら忘れられない鮮烈なまでのビジュアル。こりゃ衝撃的すぎて真似したくもなりますわな。何もかもがバッキバキだもんね!
コントラスト映画
チェスに目がない死神をだまくらかして、しばしの猶予を得たアントニウスは、ほかに行くとこもないので妻の待つ居城を目指します。その過程で天涯孤独な少女、旅芸人一家、鍛冶屋の夫婦を旅のお供として引きずり込みます。
その道中で彼らが見たものは、黒死病(ペスト)の流行によって死と絶望が蔓延した終末世界。それとは正反対の生を謳歌する牧歌的な光景。黒と白のバッキバキな映像。生と死。悲と喜。有と無。なるほど、これはコントラストの映画なのか。
騎士アントニウスと従者ヨンスの関係もこれに該当します。主従の関係を超えて、どこか対立の構図を見せるふたり。生と死、神の存在について答えの出ないひとり問答を続けるご主人様に対し、達観したからかいと憐れみのポーズを決める使用人。
基本的にありえない関係性だとは思いますが、これが実に面白くて意味深いのです。このふたりの対立軸によって映画のテーマを語っているともいえますね。終始しかつめらしいアントニウスと、お茶目なヨンスというキャラクターとしての対比も効いています。
神へのアンビバレンツ
死が普通に横に座り、気安く肩など抱いてくる終末世界。無造作に道端に転がる死。あっちを見ても死。こっちを見たら絶望。そんな終わりゆく世界で騎士アントニウスは神の存在、または不在について頭を悩ませ続けるのです。
無神論者であり、キリスト教についても無知に等しいボクのようなボンクラには、インテリであるアントニウスの苦悩、求めているものはさっぱりわかりません。ヨンスのように「そんな形のないものより目の前の現実を見ろ!」と言いたい気持ち。
死神に、神罰に、悪魔に踊らされている人間たち。形のない迷信に怯え、苦悩し、なんとか赦しを乞おとする人間たち。求めれば求めるほど、その答えは遠のいていく。知ろうとすればするほど、救いは闇のなかへと消えていく。
神様なんてそんなもんだというベルイマンの達観した声が、従者ヨンスの口を通して聞こえてきそうですね。でもその存在と不在の意味を問うことはやめられないという、心の声も同時に存在しているような気が。これはベルイマンのアンビバレンツなのか?
終わるのね
神の存在を求め、その不在の意味を問い続けたアントニウス。しかし最後の最後まで、彼の前に神はその姿を現すことはありませんでした。ついに死神とのチェスに敗れた彼は、とうとう自らの死を受け入れます。代わりに旅芸人一家の命を救い。
10年ぶりに居城へと帰って来たアントニウス。彼の帰りを待っていた妻。従者ヨンス。天涯孤独な少女。鍛冶屋夫婦。彼らがここで迎え入れるのは死神。つまりは自分たちの死。これはアントニウスのせいなのか?それとも彼らの運命だったのか?
頭の悪いボクに答えはわかりませんが、ここでもバッキバキにシャープな映像がさえわたっております。なのにいつになくおぼろげに姿を現し、闇から出ようとしない死神。彼のコミカルさが消え失せ、その不気味な死の正体を現した瞬間です。
静かに死を受け入れる者。事態を把握していない者。この期に及んで神に赦しを乞う者。達観した者。そして最も戦慄したのが、これまで一言も発しなかった少女の「終わるのね」。なんと!死もまた赦しであり、救いであったとは!
人間は考える葦なのか?
唯一、死の呪縛から逃れることができた旅芸人一家。一家の長であるヨフが、死神に手を引かれ踊りながら丘をあがっていくアントニウスたちの姿を目撃します。死へのピクニック。バッドエンドだというのにその光景はなんともコミカルで楽しそうだ。
そうか。これはバッドエンドではない。ハッピーエンドだったのだ!晴れて人生のしがらみ、苦悩、呪縛から解放された皆々さまの歓喜のダンス。少女が発した「終わるのね」というセリフはつまりこういうことだったのだ!
神の存在と不在の意味を問い続け、世界の絶望を見つめ、死を覗き、迷信にとらわれ、悪魔を求め、孤独に打ちひしがれ、ただ待ち続ける人生のなんと苦しいことでしょうか。「死」とはそういう苦痛からの解放。終わることによる救済だったのです。
では唯一生き残ってしまった旅芸人一家はどうなのだろう?彼らだけこの生き地獄に取り残されたのでは?心配ご無用。彼らは神の不在に悩むことも、迷信にとらわれて闇をさまようこともない、無自覚に生を謳歌することができる選民なのですから。
あたりまえのように神の存在を信じ、生きている喜びを全身で感じ、素直に死の恐怖におののくことができる選民。誤解を恐れずに言ってしまうと、彼らだけが助かり、選ばれた理由は、つまりは無知だから。無駄な知識がないから。
そういう純粋さを神は好む。だからこそ求めに求めたアントニウスの前にはついぞ姿を見せなかったくせに、無邪気なヨフにはひょっこりお散歩状態でその神々しい姿をさらす。いつの世も神とはいけずな存在。我々の人生を気まぐれにもてあそぶの。
そんないけずな神との対峙の仕方を模索した映画。それがこの『第七の封印』という映画の正体ではないでしょうか?信じる者は救われる。でも人間とは無駄に考え、疑念をもち、さまざまな意味を問い続けてしまう哀れな生き物。
この映画を観て無秩序なひとり問答を繰り返しているボクもまた、そんな哀れな生き物のお仲間。確かにこれは宗教哲学難解芸術映画であるが、同時に抱腹絶倒のナンセンスコメディでもある。映画の意味に縛られる前にまずそこを楽しむべきなのです。
なんたってこんなバッキバキに決まった映画はそうそう拝めませんからね!考えるな!まずこのバッキバキに身をゆだねよ!これがバカなりの感想、解釈、考察であります。以上!終了!
個人的評価:9/10点
コメント
難しく考えちゃダメだったんですね~。
「処女の泉」も苦手でしたが、こちらは苦手というわけじゃないけど遠くに感じてしまいました。数人見分けがつかなかったし(汗)
余計な情報を持たないからこそ純粋に信じられる、というのは今の世の中でも言えることかも。ネットは情報に溢れていますが、不安を煽るだけのものも多いし。
さすがベルイマン、普遍的なテーマを題材にしてます。
初見ではまったく理解できなかったけど、スパイクロッドさんの記事を読んだら5年、10年ごとに再見して、自分なりの解釈を見つけたくなりました!
宵乃さんコメントありがとうございます!
小難しい話は抜きにして、純粋に凄い映画ですからねこの『第七の封印』は!まずはこのバッキバキに決まったビジュアルと、シュールな恐怖と、ナンセンスコメディを素直に楽しむべきかと。解釈・考察はそのあとですよね。こういう映画は人それそれの答えがありますでしょうし。宵乃さんもぜひまた再見して、自分なりの答えを探してみてください!
お、旧ブログ良記事復活ですね♪
この作品、キリスト教的終末感が漂っているので、出来れば、90年代後半に観ておきたかったです。日本の90年代後半の世紀末感というか終末待望論というか、あれと雰囲気が似ているなぁと勝手に感じています。
今後の、旧ブログの高評価作品記事の復活に期待です。
ハリーさんコメントありがとうございます!
こちらのブログに掲載するにあたり、再見して感想もいちから書きましたので、言ってることが変わってる部分もあろうかとは思いますが、その点に関してはどうぞご容赦ください。ちなみにイラストも描き直してはおりますが、横着して構図はそのままです(笑)。この『第七の封印』の世界観と日本の1990年代後半に流れる共通点。言われてみると確かにあるかもしれません。「ノストラダムスの大予言」ブームに乗っかった終末待望論的なやつですね。予言や迷信とは距離を置く立場を取っておりますので、この時代の空気感には正直批判的でもあるのですけど、終末やカオスを待ち望む、終わりなき現実の破壊を夢見る気持ちは少なからず理解できます。旧ブログ記事移転の話は、まあ気長に待ってやってください。やるにしても再見して、感想をいちから書き起こして、できればイラストも描き直してですので、それなりに時間がかかってしまう次第です。