心温まる美談にあなたは癒されますか?ボクは癒されません。なぜかって?それはクソ男だから!クソ男どもがのた打ち回った末に訪れる、一瞬の奇跡にこそボクは心癒されます!
作品情報
『セッション』
Whiplash
- 2014年/アメリカ/107分
- 監督・脚本:デイミアン・チャゼル
- 撮影:シャロン・メール
- 音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
- 出演:マイルズ・テラー/J・K・シモンズ/ポール・ライザー/メリッサ・ブノワ
予告編動画
解説
クソ男ふたりによる魂の殺し合いの果ての絶頂を描いた音楽青春ドラマです。というかサイコスリラー?
観客・批評家ともに非常に高い評価を得ている作品で、映画批評集積サイトRotten Tomatoesの批評家支持率はなんと95パーセント!第87回アカデミー賞においても、助演男優賞・編集賞・録音賞の3部門を獲得しております。
監督と脚本はこれがデビュー作となる『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル。主演はリブート版『ファンタスティック・フォー』のマイルズ・テラー。共演に『ズートピア』のJ・K・シモンズ。彼はこの鬼気迫る熱演で見事にオスカーを獲得。
あらすじ
偉大なジャズドラマーを目指して、全米屈指の音楽校シェイファー音楽院へと晴れて入学を果たしたアンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)。
ある日、音楽院最高の指揮者として名高いテレンス・フレッチャー(J・K・シモンズ)の目に留まり、彼のスタジオ・バンドへとスカウトされる。思わぬ幸運に有頂天のニーマンだったが、練習初日、スタジオにフレッチャーが現れた瞬間の皆の緊張感に違和感を覚える。
罵声。怒号。体罰。ここで行われているのは練習という名の狂気のしごき!あまりの修羅場に我が目を疑うニーマンだったが、これが彼とフレッチャーとの長きにわたる闘争の始まりであった!
感想と評価/ネタバレ多少
映画公開当時、ジャズミュージシャンの菊地成孔氏と映画評論家の町山智浩氏とのあいだで、「『セッション』論争」なる場外乱闘が繰り広げられておりました。未見の映画評は読まない主義なのでスルーしておりましたが、実は観了後もいまだに未読。
それはこの映画を観終わった正直な気持ちとして、「そんな場外乱闘ほっといていいからとりあえず観て!」と思ったからに相違ありません。「読むより観ろ!」話はそれからです。
ジャズ版『フルメタル・ジャケット』
という形容詞はおそらくさまざまなレビューで出尽くしていることでしょう。ハートマン軍曹が世紀をまたいでフレッチャー教授に憑依する。ここは音楽学校ではなく海兵隊訓練キャンプであったのか!
生徒たちが学ぶのは音楽ではなく、人に殺されてもいいという覚悟と、人を殺してでも前に進むという闘志。つまりは壮絶なる殺し合い。おお~怖い、ああ~怖い。
狂気のレッスン
音楽学校にまさかの降臨を果たした鬼軍曹、あらためフレッチャー教授。暗闇のなかからぬるりと現れる初登場シーンからしてホラーですが、こんなものはまだまだ序の口。彼の狂気は生徒たちを恐怖の底なし沼へとずんどこずんどこ叩き落とすのです。
初レッスンシーン。9時きっかりにスタジオへと姿を現すフレッチャー教授。その瞬間、スタジオ全体を一瞬にして覆い尽くすピンッと張りつめた空気。もうこれだけで彼の鬼軍曹ぶりがうかがえます。
最初に演奏する曲はこの映画の原題にもなっている『Whiplash』。意味は「鞭打ち」。この映画の内容を的確に表しているタイトルですな。『セッション』なんて生ぬるいこと言ってる場合ではありません。この映画は『鞭打ち』なのです!
稀代の変態テクノバンドDEVOによる「鞭打ち」は関係ないのでとりあえず置いといて、ここで披露されるフレッチャー教授の華麗なる鞭さばきの鮮やかさよ!
「ではなぜ言わなかった!?足手まといも限界だデブ野郎!音程よりメシが大事か!メッツなぜ座ってる?出てけ!」
わずかな音程のズレも許さず、無実の微笑みデブ君に浴びせかけられる罵詈雑言の数々。「闘志なき者は去れ」ということなのでしょうけど、現在の日本ではまず許されないパワハラモラハラ体罰鬼畜教師の鑑ともいえる凛々しいそのお姿。
恐怖で場を支配する。なんのために?完璧な音楽のため?生徒のため?自分のため?ボクにはよくわかりません。しかしよくわからないからこそこのテレンス・フレッチャーという狂人には底知れぬ魅力がある。ゆえに、この映画は抜群に面白い!
テレンス・フレッチャーの謎
彼の真意とはいったいどこにあったのでしょうか?この手の物語の定石としては、これまでの傍若無人は実は世のため人のため、理想のためであったという軽々しい美談に転換されてしまうことが多々ありますが、この映画はそんな愚は犯しません。
ではフレッチャーの真意とはいったいどこにあったのか?最高の音楽を作り出すための罵声。偉大なミュージシャンを生み出すための体罰。自らの支配欲を充足させるための恐怖。演奏家としては二流に終わったことによる復讐心。どれもアリだと思います。
フレッチャーの求めている結果、考えている真意を明かさない。それがこの映画の肝。単純な解答を示すのではなく、明かさないことによって複合的な意味を観客が想像する。それによって一筋縄ではいかない映画の魅力が生み出されているのです。
クソ男とクソ男
フレッチャーという男の偉大なクソ男ぶりは前述したとおりですが、それではこの映画の主人公アンドリュー・ニーマンはその責め苦に耐え、自らの高みを目指して闘い続けた、血と汗と努力と根性の偉大な主人公だったのでしょうか?答えは「NO!」です。
ニーマンもまたフレッチャーと同じ、偉大なクソ男のひとりなのであります。つまりこの映画は、クソ男とクソ男による壮絶な殺し合いの映画だったわけですね。ニーマンが求めているのはジャズドラマーとしての成功のみなのです。
負け犬からの脱却。そのためにはすべてを犠牲にする。友達はいない。親戚はボロクソ。練習のジャマだからと彼女はポイ捨て。仲間のことはこれっぽっちも考えない。すべては自分のため。自分が成り上がるため。
究極的には自分のことしか考えていないクソ男とクソ男が叩き出す物語。それがこの『セッション』という映画。「そんな映画が面白いのか?」いやあなた、だからこそこの映画は面白いのですよ。最後まで観ればわかります。
汚濁の果てに生まれる美
クソ男同志の壮絶な殴り合いの果てに生まれるまさかの感動。ここには深い絆と友情や、師弟愛や、尊敬、感謝の念はいっさいありません。でも感動してしまう!そこにあるのはただの素晴らしい音楽。それをクソ男たちが生み出したのです!
この映画はフレッチャーの行きすぎた指導を肯定しているわけではありません。しかし、屈辱と苦痛が偉大な才能を開花させることもあるという、一面の真理を否定してもいない。あくまでフレッチャーはモンスターであるが、そのモンスターが偉大な芸術を生み出すこともある。
その結果を見せつけたクライマックスの興奮は思い出しただけで鳥肌が立ってしまいます!安易な着地点へと落ち着くと見せかけてからの、さらなるクソ男同志の玉の取り合い!
「てめえだけは絶対に許さねぇ!」「地獄へ落ちろ!」「ぶっ殺してやる!」と、醜いノーガードのどつき合いを繰り広げた結果訪れる、奇跡的なまでに美しい芸術的瞬間。もはやそこには憎しみも、恐怖も、復讐心も存在しません。あるのはただただ素晴らしい音楽のみ。
それを作り出した男と、それを成し遂げた男。ふたりのクソ男と素晴らしい音楽。殺し合いから生まれる芸術。血と汗と涙と汚物が作り出した美。すべてが浄化され、思いがけず共闘関係を結ぶことになったふたりのクソ男の歓喜と恍惚の笑顔。
なんという鮮やかな幕切れ!蛇足のない余韻ぶった切りの編集も二重丸!確かにこれはジャズではないかもしれないが、だからなんだ!?これは映画だ!素晴らしい映画だ!!四の五の言わずにとにかく観ろ!
個人的評価:8/10点
DVD&Blu-ray
VOD・動画配信
『セッション』が観られる動画配信サービスはプライム・ビデオ、、、Hulu、Netflix。すべて定額見放題ですが、おすすめは月額400円とコスパ最高なプライム・ビデオ(2018年12月現在。最新の配信状況は各公式サイトにてご確認ください)。
コメント
本当にクソ男がトレーニングするんですよね。それがスポ根そのもの。
ただ個人的にはガンガン怒鳴られることが嫌いなので、見終わった後
結構後を引きずりました。
クソ男に対抗するには同じレベルになるしかないのかしらん。
たぶん、スパイクロッド氏の仰る通りでしょうね。私もそう思いました。同感です。フレッチャーを見たとき、今や鬼軍曹の代名詞となったハートマン軍曹が目に浮かびました。
ちなみにハートマンを演じたガニーちゃんは私生活も全く同じ、だから役作りの必要は全く無かったらしい。聞くところによると、当初は軍隊生活の監修のために呼ばれたところキューブリック監督の目に留まり、ハートマンが誕生、全く素のままでOKだったそうです。
あの映画のお陰かどうかはわかりませんが、キューブリックとも意気投合し有名になったガニーはミリオタや銃器メーカーのカリスマになり、退役なのに1等軍曹へ名誉昇進。好きなアサルトライフルと軍服に囲まれて幸せな人生を送っています。
きっと映画の主人公たちも幸せな人生を送ることでしょう。自分たちがつくったお花畑の中で。
評論家同士の場外乱闘は評判になりましたね。私もブログでその事を論評した事があります。
ミス・マープルさんコメントありがとうごいます!
フレッチャーのガンガン怒鳴り散らす指導法は生徒を委縮させるだけなので、基本的には間違っていると思いますね。あれで生徒が伸びるとはとうてい思えません。ですのでこの映画の中でもあくまで間違った指導法のひとつとして描かれているわけですけど、ごくまれに同じベクトルをもったクソ人間が現れて、奇跡のような成長曲線を見せることもあるので、いつまでたってもこの手の体罰教師はいなくならないのでしょうね。
晴雨堂ミカエルさんコメントありがとうごいます!
キューブリックは彼の演技指導での罵詈雑言を見て即ハートマン役を与えたらしいですからね。彼の鬼気迫る狂演を絶賛し、「最高の俳優だ!」と讃えたらしいですけど、そりゃそうでしょう。別に演技する必要はなかったわけですからね。
ただこの映画の主人公たちには若干の救いはあるのではないでしょうか?変われる余地はまだ残っているというか。自分たちもまったく予期せぬかたちの奇跡を体験したわけですから。これで変わらなきゃ単なるバカですよ。
こんばんわ。
本物の「音楽」の為なら犠牲をいとわないフレッチャー教授の姿、終幕の憎悪し合いながらも共闘する歪んだ師弟。芸術に人間性も正邪の別もない、芸術(音楽)それそのものにしか価値がないという狂気(狂喜)の映画でしたね。
その狂気を救いや善悪で取り繕わず、丸裸に魅せるストーリーが魅力的な映画でした。
ハリーさんこちらにもコメントありがとうございます!
変に感動ものにもっていかなかったところが凄いですよね。あくまでどうしようもないクズどもが奇跡的に生み出してしまう芸術的一瞬を描く。人間性と才能は一致しない。クズが素晴らしい芸術を生み出すこともある。個人的な見解ですけど、芸術家と政治家には人間性を求めてはいけませんよね。どんなクズでもいい仕事をしてくれさえすればよいのです。