『10番街の殺人』感想とイラスト 吾輩は変態である

この記事は約6分で読めます。


吾輩は変態である。動機は特にない。いつから変態なのかとんと見当がつかぬ。何やら薄暗いアパートで「ハァ…ハァ…」あえいでおったことだけは記憶している。吾輩はここで初めての殺人を犯した……。

スポンサーリンク

作品情報

『10番街の殺人』
10 Rillington Place

  • 1971年/イギリス/111分
  • 監督:リチャード・フライシャー
  • 原作:ルドヴィック・ケネディ
  • 脚本:クライヴ・エクストン
  • 撮影:デニス・クープ
  • 音楽:ジョン・ダンクワース
  • 出演:リチャード・アッテンボロー/ジョン・ハート/ジュディ・ギーソン/パット・ヘイウッド

参考 10 Rillington Place (1971) – IMDb

解説

ベンチャーズの代表曲とはまったくもって縁もゆかりもない実録殺人鬼映画です。

監督はオールジャンル制覇の天才職人リチャード・フライシャー。『強迫/ロープ殺人事件』『絞殺魔』と並ぶ彼の実録犯罪もののうちの一本です。

主演は役者と監督の二足のわらじで活躍した『ジュラシック・パーク』のリチャード・アッテンボロー。共演は『エイリアン』で腹を喰い破られ、『エレファント・マン』で原型皆無の特殊メイクを施されたことでお馴染みのジョン・ハート。

あらすじ

イギリスのさびれた下町リリントン・プレイス10番地。そこの古びたアパートで暮らす元警官のジョン・クリスティ(リチャード・アッテンボロー)。喘息に苦しむ女性を治療と称して自室に連れ込んだ彼の目的は、彼女を殺害する以外にはなかった。

数年後。彼のアパートに幼子を連れた若夫婦が越してくる。夫のティム(ジョン・ハート)の収入はけっして多くはなく、そんなときに発覚したのが妻ベリル(ジュディ・ギーソン)の第二子妊娠だった。

そのことで喧嘩の絶えない夫婦のもとに、言葉巧みに近づくクリスティ。彼は警官時代に医療関係にも従事していたと告げ、子供の堕胎を提案する。首尾よく夫妻の了承を得た彼は、手術と称してベリルを眠らせたあと……。

スポンサーリンク

感想と評価/ネタバレ有

1949年にイギリスのロンドンで起こった実際の冤罪「エヴァンス事件」。それを事実にひたすら忠実に再現してみせたのが本作、『10番街の殺人』であります。

天才的職人監督であるリチャード・フライシャーの実録殺人鬼ものの一本。地味で陰湿すぎる内容のせいか、日本では劇場未公開という憂き目に遭いましたが、このたびTSUTAYA発掘良品での取り扱いが始まり、『見えない恐怖』と同時レンタルしてみました。

狂気のリアリズム

イギリス中を揺るがせた連続猟奇殺人事件と、その結果、引き起こされた世紀の冤罪事件。この衝撃の実話を映画化するにあたってフライシャーが選択した手法は、徹底したリアリズム描写でありました。

これがもう常軌を逸しているというか、ほとんど狂気の沙汰なのであります。実際の会話をなるだけ忠実に再現したというダイアローグなんかはほんの序の口で、驚嘆すべきは惨劇の現場であるアパートで本作を撮影したという嘘のような本当の話。

どこまでガチでやったのか真偽のほどは定かではありませんが、こういう徹底したリアリズム志向はもちろん演出全体にも及び、過剰な味つけをしない淡白ともいえる語り口が逆に空恐ろしいのです。

映像技巧を凝らした『絞殺魔』とは真逆ともいえる、ズームの多用が目立つぐらいの非常にそっけない、ただあるがままの事実の再現。そんななかで異彩を放っていたのが、好々爺というイメージが強いリチャード・アッテンボローの存在であります。

変態リチャード・アッテンボロー

衝撃的にキモいチビハゲデブメガネ。『ジュラシック・パーク』での子供のような爺さんのイメージを粉々にぶち壊す、リアルに気持ち悪いド変態殺人鬼を熱演しておられるのです。

「衝撃的にキモい」と書きましたが、一見するとちょっと神経質そうだけど丸くて柔らかそうな普通のおじさんでもあります。しかしひとたびその仮面を脱ぎ去れば、真性のド変態殺人鬼としての本性を「ハァ…ハァ…」させておるのです。

ターゲットにした女性を執拗に視姦する粘着質な視線。眠らせた女性の体をまさぐるときの、「ハァ…ハァ…お、奥さん…奥さんっ!」的な抑えがたい衝動。ホントにリアルに気持ちが悪くてたまりません。

一見すると人のよさそうな普通のおじさんであるからこそ、その本性が明らかになったときのリアルな気持ち悪さ。こういう役にアッテンボローを起用したフライシャーのセンス。それを受けてリアルなド変態殺人鬼を見事に演じきってみせたアッテンボロー。ブラボーです。

無知は罪なのか?

そんなド変態殺人鬼の狡猾な罠にまんまとハマり、妻子殺害の濡れ衣を着せられてしまった哀れなティモシー・エヴァンス。この映画はクリスティのシリアルキラーとしての事件を描くと同時に、冤罪によって死刑判決を受けたティムの悲惨な現実も描いておるのです。

このティムを演じた若き日のジョン・ハートの頼りないイケメンっぷり。顔はいいけどオツムの足らないヘタレ男ぶりがこれまたリアルで痛々しい。彼の性質である虚言癖が最終的に自分自身を追い込むあたり、実話とはいえホントに容赦がありません。

学がないため薄給でこき使われているくせに、人並み以上の虚栄心だけは旺盛で自分を大きく見せようと口から出まかせ三昧。なんという薄っぺらいダメ男。まるで他人事とは思えません。しかしペラペラ一反木綿男だとはしても、こんなご無体な目に遭ういわれはないのです。

やはり悲しきは教養のなさよ。無学の若者は狡猾な悪魔によってその身をもてあそばれ、いい加減な司法によってあっさりと絞首台へと送られる。この淡々とした流れの無慈悲。ジョン・ハートの魂抜けっぷり。いやはや、心底恐ろしい流れですわ。

死刑制度への波紋

イギリス的陰湿さをアメリカ人監督が表現し、シリアルキラーと無知な若者の末路をひたすら淡々と映し出していく。この突き放した徹底的リアリズム志向がこの作品のミソなのですけど、それゆえの娯楽性の薄さが我が国での劇場公開を阻んだ理由なのかな?

実際の事件でクリスティは合計8人を殺害(ティムとベリルの娘の殺害だけは最後まで否認)し、1953年7月15日に絞首刑に処されました。彼の凶行の原因には、厳格だった父親の存在と、初体験の失敗による性的不能があげられております。

インポテンツとそれに伴う挫折、屈辱が代替行為としての殺人へと至る経緯というのは、『チャイルド44 森に消えた子供たち』のモデルとなったアンドレイ・チカチーロとよく似ておりますな。

対してティムはいったんは妻と娘の殺害を自供するものの、公判では一貫して「真犯人はクリスティである」と主張。しかし日頃の虚言癖や妻との喧嘩の目撃証言があだとなり、陪審員を納得させることはできず、1950年3月9日、絞首刑に処されるのです。

しかしクリスティの逮捕によって「ティムは実は無実だったのではないか?」という世論が高まり、内務省の再調査によってその事実はあっさりと認められる。こうなってくると当然噴出してくるのが、「冤罪の可能性」と「死刑制度の是非」であります。

そして1965年にイギリスは死刑を試験的に5年間停止。1969年12月に正式に死刑制度廃止が決定されました。1966年にティムの無実は事実上立証され、エリザベス女王からの恩赦が与えられたとのこと。

参考 エヴァンス事件 – Wikipedia

個人的評価:7/10点

DVD&Blu-ray

復刻シネマライブラリー

VOD・動画配信

『10番街の殺人』が観られる動画配信サービスはプライム・ビデオのみです(2018年12月現在。最新の配信状況はAmazonのサイトにてご確認ください)。

実録殺人鬼映画の感想ならこちらも

『静かなる叫び』感想とイラスト 混ざり合う血の海
映画『静かなる叫び』のイラスト付き感想。ネタバレ有。色が、言葉が抑制された77分の映像のなかで物語られる人の弱さと強さ、そして混ざり合う血の海。あれは絶望なのか?それとも希望なのか……。

コメント

  1. えるぼーロケッティア より:

    これもまたまた発掘良品にて視聴しました。
    惨い冤罪事件が元になっており犯人やあのいい加減な裁判は憎むべきものですが、それとは別に奥さんの殺害自体にはあまり怒りを覚えませんでした。
    理由としては2人目の妊娠が発覚した時の態度です。
    経済的な理由による堕胎はまぁ100歩ゆずっていいとしてもおろせる方法があるとわかった途端の奥さんはそれはもう大喜びではしゃいで仕事終わりの旦那を意気揚々と映画に誘ったり飲みにいったり、旦那が堕胎に少しでも渋れば不満げな態度。
    見た限りでは旦那のような良心の呵責を感じているようなシーンはなかったと思います。
    クリスティも日を改めようとすれば奥さんは急かす始末。
    2つの幼い命は可哀想ですが、奥さんにあまり同情できません。
    監督の真意はどうかわかりませんが、あれでとても子供思いな女性として描かれていたらちょっと視聴し続けるのが辛いし、奥さんを薄情に描写することで見る側の気持ちのバランスをとろうとしたのかなと思いました。
    その後に見たエイリアンであれこの人!と驚きましたが、ジョン・ハートさんエイリアンに出演なさってたんですね。
    この時も胸を貫かれるという不憫な役でした・・・w
    個人的には物凄く気に入った映画です。

  2. スパイクロッド より:

    えるぼーロケッティアさんコメントありがとうございます!
    ボクも発掘良品による鑑賞です。この映画の意地の悪いところは、ある意味においては殺人鬼であるクリスティも、哀れな被害者であるエヴァンス夫妻も同罪として描かれている点ですよね。キティガイも、無知も、等しく同罪であると。どちらにも肩入れしていない突き放した感覚が秀逸であり、恐ろしくもある。確かに彼らは被害者であるが同時に加害者でもある。そういう視点があったのではないかとボク的には勝手に考察しております。
    ジョン・ハートはいい役者なんですけど、ホントに不憫な役が多いのですよね。この『10番街の殺人』しかり、『エイリアン』しかり、『エレファント・マン』しかり。そういえば『ミッドナイト・エクスプレス』でも不憫な目に遭っていたような気が……。