『ゲティ家の身代金』感想とイラスト これって不完全公開版?

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世界一の大富豪にして無類のドケチでもある石油王ジャン・ポール・ゲティ。愛する孫が誘拐されたって?人の命は金に換算できないので、身代金なんぞビタ一文払わんぞ!ガハハハー!

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作品情報

『ゲティ家の身代金』

  • 原題:All the Money in the World
  • 製作:2017年/アメリカ/133分/R15+
  • 監督:リドリー・スコット
  • 原作:ジョン・ピアソン
  • 脚本:デヴィッド・スカルパ
  • 撮影:ダリウス・ウォルスキー
  • 音楽:ダニエル・ペンバートン
  • 出演:ミシェル・ウィリアムズ/クリストファー・プラマー/マーク・ウォールバーグ/チャーリー・プラマー/ロマン・デュリス

参考 ゲティ家の身代金 – Wikipedia

予告編動画

解説

孫が誘拐されたにもかかわらず、一銭も身代金は払わんと宣言した大富豪ジャン・ポール・ゲティと、そんな男と誘拐犯を相手に息子を取り返すための決死の闘いを繰り広げる母親の姿を描いた実録サスペンスです。

1973年に起きた「ジョン・ポール・ゲティ3世誘拐事件」を基に脚色を加えております。

監督は『悪の法則』のリドリー・スコット。主演は『ヴェノム』のミシェル・ウィリアムズ。共演には『手紙は憶えている』のクリストファー・プラマー、『ブギーナイツ』のマーク・ウォールバーグ、『真夜中のピアニスト』のロマン・デュリスなど。

当初ジャン・ポール・ゲティ役はケヴィン・スペイシーで撮影も終了しておりましたが、当時14歳の少年に対するセクハラ発覚によって降板。急遽クリストファー・プラマーが代役として起用されました。そのための追加撮影による男女のギャラ格差なんかも問題になった、なんとも呪われた映画であります。

参考 ケビン・スペイシー降板のリドリー・スコット新作 ゲティ家誘拐事件描く – 映画・映像ニュース : CINRA.NET

参考 ミシェル・ウィリアムズ、新作撮り直しのギャラはマーク・ウォールバーグのわずか1パーセント!?|ニュース(海外セレブ・ゴシップ)|VOGUE JAPAN

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感想と評価/ネタバレ多少

公開直前になって発覚したケヴィン・スペイシーの例の騒動により、公開1か月前だというのに彼の降板を決断、代役にクリストファー・プラマーを立ててわずか9日間で再撮影を敢行したことが、皮肉にも本編より話題を呼んだ『ゲティ家の身代金』。

リドリー・スコット80歳、クリストファー・プラマー88歳ってんだからホントに元気で素早い爺さまたちだわ。ただその決断が本当に映画にとって良かったのかどうかは疑問の残るところで、社会的対応としては正解でも、映画として正解だったかどうかはボクとしては保留です。

偉そうに語る情弱

その理由はまず第一にこの映画をいまいち楽しめなかったから。第二にもはや我々には観ることが叶わないであろうオリジナル、ケヴィン・スペイシー版の存在です。

実は情弱を白状させていただきますと、くだんの騒動によりケヴィン・スペイシーが本作を降板したことは知っていたのですが、彼が準主役とも言えるジャン・ポール・ゲティその人を演じていたとは思っていなかったのですね。主役クラスではなく重要な脇役であろうと。

ですので、クリストファー・プラマーは最初からゲティ役にキャスティングされていた、肝心要な屋台骨なのであろうと。にしては映画を裏から支配するパワーに欠けるなぁ、と思って観ていたのですね。場を、世界を支配する「神」としてはいささか弱すぎやせぬか?と。

堕落した神による退廃世界

この『ゲティ家の身代金』という映画は、自らの価値観、ルールに則って世界を、人の運命を牛耳る王、もしくは神の理不尽さに振り回される下々の人間たちの右往左往を描いた作品だったと言えます。誘拐された孫も、母親も、交渉役も、誘拐犯も、パパラッチたちも。

豪華な別荘や美術品のためなら大金をポンと差し出す世界一の大富豪が、愛する孫のためには一銭も払わないという矛盾した価値観。愛していないわけではない。「特別な存在」として心から愛しているのにだ。そんな常人の理解を超えた領域で生きる堕落した神によって支配された世界。

トップがそんな有り様では、下々の堕落、退廃は当然。舞台がローマであり、執拗かつ醜悪にパパラッチが大活躍していることからも、フェリーニの『甘い生活』からの影響は確実で、この映画が守銭奴ゲティを中心とする人間の堕落と退廃を描いていたのは明白でしょう。

そんな狂った世界に物質ではなく愛と信念で立ち向かう母親ゲイルと、そんな世界にほとほと嫌気がさした交渉役のチェイス、そして被害者と加害者という立場でありながらポールと奇妙な信頼関係を結ぶチンクアンタ。彼らの微かな光と対峙するのがゲティが纏う大きく暗い闇。

であるならば、ゲティが纏う闇は大きく暗く圧倒的パワーを秘めてなければならない。確かにクリストファー・プラマーの演技は見事で、パンパンに肥大した大富豪の醜悪さと狂気、そしてその裏で本人すら気づいていない孤独と虚無を哀愁たっぷりに表現していたと思います。

しかし場を、世界を、映画を支配する神としてはやや枯れすぎてはいないか?醜悪さや狂気よりも孤独や哀愁のほうが目立っていやしないか?すべてを牛耳る神としてはギラギラした現役感が希薄ではないか?これがこの映画にボクが感じた最大の不満なのであります。

阿呆の直感やいかに?

もはや観ることは叶わないであろうケヴィン・スペイシー版『ゲティ家の身代金』。スペイシーがゲティを演じていた事実を知らなかった情弱のボクが感じた不満は、我ながら的を射ていたのではないかとちょっと自惚れております。「違和感の正体はこれか!」と。

本来であれば彼が座るべきポジションに別の人間が座ったことにより、微妙に映画のラインがズレたのではないでしょうか?スペイシー版を観る機会は奪われてしまったのでそれを確かめるすべはありませんが、やはり急な突貫工事は見えない部分にさまざまなひずみを生むもの。

ただオリジナル版が公開されていたとしてもいろいろと問題はあったでしょうけどね。理不尽な神ゲティとの対決シーンの少なさや、マーク・ウォールバーグ演じる交渉役チェイスの中途半端な立ち位置や、誘拐されて死ぬような思いをしたポールのほったらかし加減とか。

実話部分と創作部分とのバランスも難しかったとは思いますが、そのへん無難にまとめ上げたお決まりの実録再現ドラマといった感じです。ただビジュアリスト、光と影の魔術師としてのリドリーの力量はいかんなく発揮されており、やはりその映像美には酔いしれますね。

見どころはモノクロ、セピア、カラーへと変調しながら夜のローマを退廃的にさまようポールの冒頭誘拐シーンと、自らの孤独と虚無に気づいたゲティの闇に浮かぶいまわの顔でしょうか。彼の後悔と愛への気づきを映した美しくも悲しい闇に浮かぶ孤独な老人の顔。

クリストファー・プラマーの卓越した演技力と、光と闇の魔術師リドリー・スコットの演出力が見事にコラボレートした素晴らしいシーンですが、これがケヴィン・スペイシーならはたして我々の目にどう映っただろうか?と想像せずにはおられませんね。

醜悪で、理不尽で、愚かな救いようのない老人を見事に演じきったあとにふと現出する闇のなかの孤独と哀愁。うん、見た目も実生活もクズ確定のスペイシーならもっと絵になったはずだ。プラマーには同情してしまうが、スペイシーならもっと哀れさが際立ったことだろう。

誤解されては困りますが、別にボクはスペイシーを擁護しているわけではありませんよ。ただすでに完成された映画をわざわざ代役まで立てて撮り直す意味があったのかと思うのです。だってすでにそれが完成形なのだから。

それが諸事情により公開できないのだとしたらお蔵入りにしろよ、と無責任なボクは思うわけですね。スペイシーがゲティを演じることによって完成していた『ゲティ家の身代金』。それを急遽撮り直した公開版は不完全版、劣化版じゃねーの?ってのは言いすぎだろうか?

ただボクは根拠のない自分の直感を信じたい。スペイシーがゲティを演じている事実を知らずに感じた違和感を信じたい。この公開版はやはり不完全だ。完全版であるオリジナルを観られるときが来たら、ボクの直感が正しかったのか、それとも単なる阿呆だったのかが証明されるであろう。

参考 ジャン・ポール・ゲティ – Wikipedia

個人的評価:5/10点

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