グルグルグルグル回るのです。神と悪魔と人間が。生と死が。現実と妄想が。グルグルグルグル、グルグルグルグル、お願い!誰か止めてこの回転を!
作品情報
『回転』
The Innocents
- 1961年/イギリス/100分
- 監督:ジャック・クレイトン
- 原作:ヘンリー・ジェイムズ
- 脚本:ウィリアム・アーチボルド/トルーマン・カポーティ
- 撮影:フレディ・フランシス
- 音楽:ジョルジュ・オーリック
- 出演:デボラ・カー/マーティン・スティーヴンス/パメラ・フランクリン/メグス・ジェンキンス/マイケル・レッドグレーヴ
解説
幼い兄妹に取り憑いたかもしれない邪悪な幽霊と対決しようと必死のパッチを見せる年増家庭教師の奮闘を描いたゴシックホラー、もしくは心理サスペンスの傑作です。
監督は『華麗なるギャツビー』(1974)のジャック・クレイトン。原作はヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』で、『冷血』のトルーマン・カポーティが脚色を担当しております。
主演は『地上より永遠に』のデボラ・カー。共演は『長距離ランナーの孤独』のマイケル・レッドグレーヴ、『未知空間の恐怖 光る眼』のマーティン・スティーヴンス、『巨大生物の島』のパメラ・フランクリンなど。
あらすじ
ロンドンで暮らす大金持ちの男(マイケル・レッドグレーヴ)から、郊外の屋敷で暮らす甥と姪の家庭教師として採用されたミス・ギデンス(デボラ・カー)。男からの注文は、私の手を煩わせず、自分自身で問題を解決するようにとのことだった。
屋敷を訪れた彼女を待っていたのは、幼いフローラ(パメラ・フランクリン)と世話人のグロース夫人(メグス・ジェンキンス)。ほどなくして兄のマイルス(マーティン・スティーヴンス)が寄宿学校を退学させられ、屋敷へと帰ってくる。
しばらくは平穏な日々が続いていたが、屋敷の中や外で不気味な人影をたびたび目撃するギデンス。それは以前ここで働いていた使用人と家庭教師の幽霊ではないかと疑い始めた彼女は、幼い兄妹を邪悪な幽霊から守ろうと決意するのだったが……。
感想と評価/ネタバレ有
ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』を忠実に映像化したという本作。ゴシックホラー、心理サスペンスの傑作として知る人ぞ知る作品なものの、DVDは現在プレミア価格となっており、容易に鑑賞することができない幻の傑作でありました。
それがこのたび、毎度毎度お世話になっているTSUTAYA発掘良品での取り扱いが始まったことにより、レンタル料金のみで安価に鑑賞できてしまうという歓喜の事態に。というわけでさっそく借りてきましたので、しばしくだらない感想にお付き合いください。
答えのない不安
脚本を担当したのはかのトルーマン・カポーティ。原作は未読なのでどのような改変が成されているのかは不明なものの、原作の雰囲気を壊さぬように配慮されているとのこと。つまりは単なるコケオドシではない謎めいた心理サスペンスというわけ。
あらすじだけなら単なる幽霊譚だと誤認してしまいそうですが、この映画における幽霊とは邪悪さの象徴、不吉さの兆しでしかないのです。結論から申しますと、結局のところ幽霊は本当にいたのかいなかったのか、最後の最後までわからないのです。
この曖昧さこそがこの作品のミソ。何が現実で、何が妄想だったのか?何が正解で、何が間違っていたのか?そんな不確かさ、答えのない曖昧さがたまらず不安で恐ろしく、要するに、噂にたがわぬ傑作だったということです!
恐るべき子供たち
幼い兄妹の面倒を見るために、田舎の広大な屋敷へとやってきたガヴァネス(家庭教師)のミス・ギデンス。彼女が面倒を見ることになったマイルスとフローラの兄妹。彼らの無邪気な可憐さにはギデンスではなくても心奪われることでしょう。
危ない意味ではなくてね。いや、実は危ない意味も含まれているのですけど、それに関してはまた後述。この兄妹の可憐さに心奪われた彼女は、同時に彼らがときおり醸し出す不気味さと邪悪さも感じとってしまう。美しくも恐ろしい子供たち。
これを演じきったマーティン・スティーヴンスとパメラ・フランクリンの子役ふたりには戦慄ですな。ただ可憐なだけではない邪悪さ。したり顔の大人びた視線。無邪気な悪意。発狂する絶叫。怖いしムカつく。このクソガキどもが!
と、大人げない反応をしてしまうぐらいに迫真の演技。そんな可憐さの裏に邪悪さを隠した兄妹の後ろに、この屋敷に隠されたある秘密を嗅ぎとったギデンス。彼らを支配しているふたりの幽霊の存在。う~んゴシックホラーだ。
鉄板ゴシックホラー
豪華な衣装と広大な屋敷の美術。カルトホラーの監督としても知られるフレディ・フランシスによる陰影を効かせたモノクロ撮影。ときおり見せるパンフォーカス。ただたたずみ、こちらを覗き込んでいる幽霊。う~ん徹頭徹尾ゴシックホラーですな。
ゴシックホラーとしての美と醜、正と邪の表現もたいへん素晴らしい。ロウソクを手にゴージャスな寝巻に身を包み、深夜の屋敷を徘徊するデボラ・カーの姿などは、今年公開された『クリムゾン・ピーク』への影響もうかがえます。
邪悪な何か。闇にうごめく何か。そして確実に何かが起こりそうな不吉な予感。コケオドシとしてのゴシックホラー的面白さも十二分に兼ね備えております。しかしこの映画の醍醐味はやはり、心理サスペンスとしての底知れぬ不気味さにこそあるのです。
答えはない。あるのは結果のみ
子供たちの幸せを願って、必死に、本当に必死の形相で幽霊の魔の手から彼らを守ろうと獅子奮迅の活躍を見せるミス・ギデンス。この必死のパッチがひたすら恐ろしい。必死の形相で必死に暴れ回る、いや頑張る彼女の姿が必死に恐ろしい。
ここで効いてきているのが、子供たちは本当に邪悪なのか?幽霊は本当にいるのか?彼らは本当に幽霊に支配されているのか?という前述した曖昧さなわけですな。曖昧であるがゆえに、彼女の必死の頑張りは見方によっては狂気の暴走にも映る。
結局のところ幽霊が見えている、幽霊はいると主張しているのは彼女だけ。最後の最後まで彼女だけなのです。不安と恐怖と使命感に駆られるミス・ギデンス。加速していく妄想?衝撃の真実?もう我々観客は彼女を信頼して見ることができない。疑惑の視線。
なんという曖昧さを凶器にした秀逸な心理スリラーでしょうか!後半における彼女はもう完全に常軌を逸してしまっている。真実であろうが妄想であろうが、正義を遂行するための歪んだ使命感に憑かれた邪悪そのもの。そうか!彼女こそが邪悪さの正体であったのか!
そんな彼女の正義の暴走の果てに訪れるあまりに非情なラスト。恐ろしい。これは本当に恐ろしい映画だ!この最後に至っても真相は明らかにされないのです。ただ非情な結果が提示されるだけ。
何が現実で何が妄想だったのだろう?誰が正義で誰が悪だったのだろう?どれが正解でどれが間違いだったのだろう?答えは教えてくれない。我々はその非情な結果を提示されてただ打ちひしがれるのみ。必見です。こいつはホントに必見です!
ネタバレ全開の私的解説
ここから先はネタバレ全開でこの映画が結局のところ何を描いていたのか?真実とはなんだったのか?を自分勝手に解釈、解説してみたいと思いますので、未見でネタバレを嫌う方はどうぞお引き取りを。それではボクのゲスな邪推をいざ開陳。
さっそく結論から申してしまいますと、これはババア、ではない売れ残り、いや行かず後家、もといオールドミス(死語?)の性的抑圧が見せた妄想ではなかろうかと邪推できます。このゲスな解答へと至るヒントはそこかしこに散見しております。
映画の冒頭で兄妹の叔父に見せる彼女の淡い恋心。ひそかにロマンスを期待している彼女と、実はまったく無関心な男との対比。ここで彼女は彼から「想像力はあるか?」と質問される。あります。あり余るぐらいあります。これが悲劇の始まり。
この映画の主人公ミス・ギデンスを演じたのはかのデボラ・カー。確かに美しいが撮影時の彼女は40歳。立派なババア、もといオールドミスである。前任のガヴァネスには「若い」という形容詞が付くが、彼女には付かない。つまりもう若くはない。
そんなもうすでに若くはないが厳格に自分を律している独身女性。しかし人並みの性的欲望や恋への憧れはある。おまけに想像力が豊か。そんな彼女が魅力的な中年男性と出会ったことにより、抑圧していたはずの性的欲求と想像力に火がついてしまう。
もうすでに説明の必要はないですね。この屋敷で行われていた淫らな行為は事実でしょう。その当事者である大人の男女と幼い兄妹とのゆがんだ関係も事実でしょう。では本当に幽霊は存在したのか?兄妹はその幽霊によって支配されていたのか?
これに対する答えはやはり「不明」でありますけど、その事実を知った彼女の想像力の暴走、抑圧されてきた性的欲求のゆがんだ爆発が根底にある。事実を曲解して妄想を加速させ、自身の性的抑圧の裏返しとしての正義の執行。
性的抑圧を抱えるオールドミスは、魅力的な中年男性と出会ったことにより想像力を加速、屋敷で行われていた淫らな現実を知ったことによりさらに悶々、美少年へのゆがんだ愛情も相まって、現実とも妄想ともつかない狂気へと疾走してしまう。
これが最も辻褄の合う解釈ではないでしょうか?何?そんなものは変態で倒錯したお前の妄想だと?確かにそうかもしれません。しかし答えを明かさない曖昧さをモットーとした映画なわけですから、解釈はこちらの自由です。変態にも自由を!
この話の前日譚を描いた『妖精たちの森』という映画もあるようですが、がぜん興味が湧いてきましたね。心配なのは監督がチャールズ・ブロンソンご用達のマイケル・ウィナーだということです。あんな大味な映画ばっかり撮っていた監督で大丈夫か?
個人的評価:9/10点
コメント
こんにちは。
観る人の視点で、随分見方が変わる作品ですね。
ゴシックホラーと観るか、または、家庭教師の孤独と妄想と独善の果ての悲劇と観るか。
二度楽しめるとも言えますが。
ハリーさんコメントありがとうございます!
原作もどうやら曖昧なようですけど、映画版もやっぱり曖昧です。こういう曖昧さを娯楽として享受できる方にはたまらん傑作だとは思いますが、白黒つけなきゃ気がすまん方にはきっと向かないのでしょうね。単なるゴシックホラーのようであり、年増家庭教師の妄想のようでもあり、悪魔との闘い、神の不在を描いているようでもある。なんにせよ、傑作だということだけは確かです!
スパイクロッドさん、はじめまして
お邪魔致します
これが最も辻褄の合う解釈ではないでしょうか?
>その解釈、僕も同じです。
「妖精たちの森」ご覧になられましたか?
「回転」にあった曖昧さ皆無のネタばらし的作品ですが、「(ねじの)回転」の世界の忠実な前日譚だったと思います、僕は変わり者なので「妖精たちの森」の方が好きですね。
個人的にM・ブラント変態3部作(「ラストタンゴ・イン・パリ」、「地獄の黙示録」)で一番好きかもしれません。(汗)
「妖精たちの森」>猟奇的ゴシック変態映画。(笑)
鉦鼓亭さん、コメントありがとうございます!
実はまだ『妖精の森』は観れてないのですが、マーロン・ブラント変態3部作No.1とは気になりますね!ボクは曖昧さを残した好き勝手解釈し放題の映画が好きなのですが、近いうちに挑戦してみようかな?そのときはまたヘタクソなイラストとくだらない感想を書く予定ですので、また覗きに来てやってください!
この映画は難しかったです。
スパイクロッドさんの解説には脱帽しました。
僕の解釈はショボいです。
・男の幽霊は女を殺す悪魔
・女の幽霊は主人公に悪魔から逃げろと伝えようとしていた、です。
石像が動いたり、家の中に隠し通路があるのかなあ、と推理はしてみたのですが。
我ながら頭が固いなあと反省です。
おーい生茶さん、こちらにもコメントありがとうございます!
そうですね、曖昧さを信条としている映画ですので確かに難しいですよね。でもそういう映画は逆に明確な答えもないということですから、観客がどのような答えを導き出そうが自由なのです。ですのでおーい生茶さんの解釈もそれで正解なのです。観た人間が好き勝手に解釈できるのが映画の素晴らしいところですから!ボクの感想なんてほぼこれですよ(笑)。