ギョロ目骸骨エイリアンによって管理、洗脳、搾取されていた、俺たち二度寝三度寝上等できることなら生涯眠り続けたいスリーパーに突きつけられた、嘘か誠かサングラス。その向こうに広がるモノクロの世界は、凄くて面白くて実は心底ヤバいのだよ!
作品情報
ゼイリブ
- 原題:They Live
- 製作:1988年/アメリカ/96分
- 監督:ジョン・カーペンター
- 原作:レイ・ネルソン
- 脚本:フランク・アーミテイジ(ジョン・カーペンター)
- 撮影:ゲイリー・B・キッブ
- 音楽:ジョン・カーペンター/アラン・ハワース
- 出演:ロディ・パイパー/キース・デヴィッド/メグ・フォスター
予告編動画
解説
秘密裏に人間社会へと潜伏している醜悪なエイリアンによって、自分を含めた人間たちが家畜化されていた事実を知った住所不定無職が、エイリアンによる侵略を阻止するために捨て身の反撃へと出る姿を描いたSFスリラーです。
監督は『遊星からの物体X』『光る眼』のジョン・カーペンター。主演は1980年代の全米プロレス界を代表する人気プロレスラーだったロディ・パイパー。共演には『ナイスガイズ!』のキース・デヴィッド、『バイオレント・サタデー』のメグ・フォスターなど。
感想と評価/ネタバレ有
昨年末から続いていたジョン・カーペンター監督作レビュー企画第3弾。今回ご紹介するのは、製作30周年を記念した最新HDリマスターによってスクリーンへと復活を果たした傑作SFスリラー『ゼイリブ』(と言いながら今回も自宅Blu-ray鑑賞なのですが……)。
1988年製作ながらいまだに根強い人気を誇る本作。かくいうボクも半ズボンの隙間からタマキン覗かせてた頃から大好きな一本です。でもいま観るとただ面白いだけじゃない現実的批評性に痺れるのですよね。「何をいまさら」って顔しないで、まあしばらくお付き合いください。
人間牧場
貧富の差が拡大しているアメリカ。職を求めてロサンゼルスへとやって来た労働者のネイダはなんとか仕事にありつき、ホームレスのキャンプに寝床を得る。そこのテレビには別世界のような消費生活が映し出されていたが、ときおり電波ジャックが発生し、「我々は奴らによって眠らされ奴隷化されている」という警告を発していた。
翌日、ネイダが居候するキャンプを突然、武装警官たちが襲撃する。キャンプは破壊され、隣接する教会ももぬけの殻となっていた。そこでダンボール一杯のサングラスを見つけた彼は、それをかけることによって隠された真実の世界を知ることになるのだった……ってのが簡単なあらすじ。
主人公(役名はネイダだが劇中でその名が呼ばれることはない)がサングラス越しに見る真実の世界とは、我々人間が知らぬ間にエイリアンによって管理、洗脳、家畜化されていた世界。人間に擬態したエイリアンによって彼らの意のままに飼育されていた人間牧場。
つまりは異星人による静かな侵略を描いたSFなのですが、いち早くサブリミナルによる洗脳を扱ったスリラーでもあり、もちろんド派手なアクションでもあり、どこか西部劇的でもあり、戦争映画のような側面もあり、行きすぎた資本主義を糾弾する社会派でもあるのですな。
ささやかなる反逆
本作の脚本をフランク・アーミテイジという変名で担当したのはカーペンター自身。つまりは彼の思想がよりダイレクトに反映されているということ。その思想とは「お上のやることは信用ならねぇ」と個人的な動機で突っ走る反体制でニヒリズムな変種のヒッピー。
それはゆっくりとしたドリーショットによって電車の連結部からチラ見えする主人公という、さっそく「長方形の芸術」が炸裂したファーストショットから顕著です。主人公の無駄な筋肉とナウいファッションセンスはまさにホワイトトラッシュ(貧乏白人)の代表選手。
事実、宿なし職なしの住所不定無職なわけで、そんな彼がデカいリュックを担いで大都会ロスをあてもなくふらつく情景からして貧乏臭さ全開です。ここですでに持つ者と持たざる者との格差が明確に提示され、この映画がささやかな反逆宣言である事実がうかがえます。
弱者から強者へ向けてのささやかな反逆宣言。見た目は同じだが中身は異なる怪物どもに向けての「俺はお前たちとは違う」「お前たちのルールには従わぬ」「俺は俺らしく生きそして死ぬ!」という玉砕覚悟の決意表明。世界を変えたいのではない、正義を行いたいのではない、彼はただ彼らしく生き、そして死にたいだけ。
OBEY(服従せよ)
『ゼイリブ』が描く世界とは、人間に擬態したエイリアンと彼らと結託した一部の特権階級によって大衆は眠らされ、踊らされ、ただ消費するだけの阿呆面の家畜と化した自分たちの姿を知った主人公が、その支配構造へとささやかなる反逆を試みるレジスタンス映画です。
奴らが使用するのはテレビや広告、看板などのメディアであり、その華やかな消費生活の裏側には「OBEY(服従せよ)、産め、買え、考えるな、寝ていろ」という奴らの真意がサブリミナルとして隠されており、潜在意識にこれを植えつけられた人間たちはただ消費するだけの猿と化しているわけです。
メディアによる洗脳によって個人としての思考を奪われ、生活権を規定され、眠らされ、仮死状態に置かれ、画一化された家畜として一部の富裕層から搾取され放題、知識層から操られ放題という本作の恐怖は当時のアメリカの恐怖であり、現代の我々の恐怖でもあります。
そんなヤッピーどもが謳歌する行きすぎた資本主義に、一部の特権階級どもによって生み出された格差と搾取の支配構造に、敢然と「NO!」を突きつけたのが当時のジョン・カーペンターであり、本作で西部劇的にふらりと街へとやって来た名無しの貧乏白人なのであります。
住所不定無職ヒーロー化現象
カーペンターの想いを託されふらりと街へとやって来た名無しの貧乏白人。彼はけっして世直しヒーローマンなどではなく、現状に不満をいだきながらもその現実で気楽に生きるただの住所不定無職です。そんな彼が奇妙なサングラスをかけることによって知るモノクロの真実。
「そうか!俺たちはギョロ目骸骨エイリアンどもによって洗脳され、眠らされ、搾取されていたんだ!俺が住所不定無職なのは俺のせいではなくあいつらのせいだったんだ!こんな世界嘘っぱちだ!あいつら、あいつら全員ぶっ殺してやるぅぅううぅ!」という鮮やかなる覚醒。
すべてを知った主人公が住所不定無職から突如ヒーローへと覚醒を果たす強烈ラリアット。ここから武装化して闇雲に奴らとの即物的な銃撃戦へと発展する無駄のなさには痺れます。しかしこの無駄を省いたとにかく面白く痛快な住所不定無職ヒーロー化現象は相当デンジャラス。
本作の主人公は真実を知ったのだ。それは言わば天啓を受けたようなもの。歴史的に見ればそれはジャンヌ・ダルクであり、皆が知る映画で言えば『マトリックス』のネオのようなもの。しかし最も近いのは実は『タクシードライバー』のトラヴィスなのではないかと思われる。
自分の住所不定無職の原因を醜悪エイリアンへと転嫁し、突如として街中でショットガンをぶっ放し、彼にだけ見えている諸悪の根源を皆殺しにする天に選ばれた名無しのヒーロー。そんな彼の姿に最後のアメリカンニューシネマヒーロー、トラヴィスを重ねてしまうのはボクだけだろうか?
しかもトラヴィスより質が悪いのは、あくまでお気楽なジャンル映画のふざけた面白さ、痛快さ、バカバカしさとしてこれを描き出している点。とにかくめちゃくちゃ面白いのだ!しかし冷静になるとはたと気づくのだ。おいおいこれって、実は相当デンジャラスじゃね?と。
目覚めを強いる殴り合い
これがカーペンターの怖さなのだ。ヤバさなのだ。そして無類の面白さなのだ。リベラルのくせしてピースもラブも信じていない徹底した個人主義のニヒリスト。本作の主人公は世界のために、正義のためにレジスタンスに参加したのではありません。あれはただの私怨。ムカついたのです。
彼が戦う理由は個人的動機にしかありません。ムカついたから最後に一矢報いてやるという破れかぶれ。キース・デヴィッド演じる黒人労働者を力ずくで仲間に引き入れる、6分間にも及ぶ伝説的などつき合いもこの一環かもしれません。要は誰か道連れが欲しかったのだ。
大の大人がサングラスをかけるかけないで長時間殴り合う最高のアホらしさ。真実を知った(と思っているだけかもしれない)男と、薄々気づきながらもそれを見ることを頑なに拒否する男との、「グラサンかけろー!」「嫌じゃー!」という壮絶なまでの意地の張り合い。
もうあまりのアホらしさに途中からめちゃくちゃ面白くなってくるんですよね!しかし阿呆丸出しの殴り合いにもちゃんと意味はあって、ある価値観に支配された人間の心を入れ替えるには、それだけの時間と、労力と、血と汗と涙の大量放出が必要だということを体現していたわけです。
だいいち、キース・デヴィッドは薄々その事実に感づきながらも決定打としての証拠を見たくはなかったのだ。なぜかって?見てしまった以上、知ってしまった以上は、主人公と一緒に玉砕覚悟の破れかぶれへと突入しなければならないから。だったら知らないまんま眠っているほうがいい。
カーペンターの真骨頂
そうなのだ、人間眠っているほうが楽なのだ。目覚めるのはつらいのだ。ゆえにキース・デヴィッドはボロ雑巾のようになるまで頑なにサングラスをかけることを拒否し、ホームレス仲間のジョージ・バック・フラワーとヒロインのメグ・フォスターは、真相を知ってなお奴らに寝返るのだ。
ホームレスのドヤを映し出すカーペンターの視線にはリベラルとしてのやさしさがあふれていた。しかしそんな共同体から裏切り者を出すのがカーペンターの真骨頂。いい奴はみんな死んでいくのも真骨頂。リベラルでありながら徹底したリアリストでニヒリストゆえの真骨頂。
いい奴も悪い奴も主要登場人物はみんなおっちんで、最後には主人公すらその命と意地と一泡吹かせてやる根性と引き換えに奴らのアンテナを破壊し、我々の世界に寄生した醜悪なエイリアンどもの顔をさらしたところで「The End」にも投げやり感を感じるかもしれません。
しかしこの投げやり感もまたカーペンターの真骨頂。すべてを明るみにした「その後」なんて知ったこっちゃないのだ。彼はただムカつくレーガノミクスとヤッピーどもの顔面に唾を吐きかけたかったのだ。「この恥知らずが!ぺっぺっぺーっ!」というささやかなる反逆。
そう、冒頭から何度も述べておりますが、この映画は当時のアメリカ社会に対するカーペンターからのささやかな反逆宣言。彼に世界を変革するような意思はないのです。真実を知ってなお、世界がより良い方向へと変わるわけではないということは、彼自身がこの映画で描いたわけですし。
事実、真実の世界を知ることが必ずしも幸福につながるとは限らないのですよね。起きているときの我々はいろいろなストレスにさらされていますけど、あの眠りに落ちていくときの安らぎと幸福感を思い出してくださいな。我々は基本的に寝ているときのほうが幸せなのだ。
ネオナチによる本作の曲解がまた象徴的で、詰まるところ、人は見たいものを見たいようにしか見ないのです。真実とはその人がこうあってほしいと思う願望が反映されたただのご都合性。しかし人をそう仕向ける危険性がこの『ゼイリブ』にはやはりあると思うのですよね。
参考 30年前のカルト的SF映画『ゼイリブ』がいま、なぜかネットで再び盛り上がる“不快”な事情 – Wired
カーペンターさん。あなた自分の好きなように生きて発信しているおふざけニヒリストだと思っているかもしれませんが、実はあなた凄い力の持ち主なのですよ!その凄さと面白さとヤバさを認識しなさい!わかったらさっさと新作を撮れ!凄くて面白くてヤバい新作を撮れ!
個人的評価:8/10点
コメント
ファイトクラブがオールタイムベストの自分にとってこの映画が嫌いなわけがない!
カーペンター作品で最も好きな1本です。
物欲を刺激するだけの広告程度ならまだマシですが、最近はだからどうした程度のトリビアを解くのが凄い人なんだとばかりにチヤホヤするインテリ番組や、視聴者の恐怖を煽って取り込もうとする医療番組等、民衆への煽り方があまりに下劣極まりない状況なので是非一度多くの人々に見てもらいたいと改めて思う作品です。
発想はもちろん、広告に隠しこむ文字のセンスも見事。
ギョっとしつつもマヌケさがちょっと愛おしいエイリアンの造形も素晴らしい。
けどこの作品、最も真実をついていると思う場面はサングラスをかけての乱闘シーンだと思うのですよ。人って信じていることをホントに変えたがらない生き物ですから・・・
それを踏まえて洗脳の恐ろしさが伝わる作品ですね。
わるいノリスさん、コメントありがとうございます!
おお!わるいノリスさんのオールタイムベストは『ファイトクラブ』なのですね!確かにあの作品と『ゼイリブ』には共通点がありますね。ボクも『ファイトクラブ』のラストには資本主義を粉々に破壊する美しき革命の成就を見て泣きそうになりました(笑)。新世界を夢想する人間にはそうとう危険な傑作だと思います。
対してこの『ゼイリブ』はあそこまでは振りきれておりませんよね。でもふざけたB級SFスリラーとして撮っているから余計に怖いかも?わるいノリスさんがおっしゃるとおりメディアによる下劣な煽りはより醜悪さを極めてきており、本当に今この時代にこそ観てほしい傑作だとは思うのですが、ネオナチによる一件なんぞを思い出すとよからぬ電波のほうを受信してしまいそうでこれまた怖いですな(笑)。
この映画、初見の時はなんかチープな感じで、主役はホームレスでヒーローらしくないし、延々と続く意味不明の格闘シーンはあるしで、全く受け付けなかったのですが、見る度に、齢とともに味わい深くなるまさにスルメ映画、カルトと呼ぶに相応しい映画ですね。チープさも、主役のロディ・パイパーのマッチョでもっそりとした動きも、無駄な殴り合いもなんか楽しげに思えてくるから不思議です。
この映画、ある意味一番カーペンターらしい映画じゃないでしょうか。B級だけどアイデアとビジョンで低予算を補い、男臭くて反骨なアウトローが主人公で、良くも悪くも「いい」加減で。
痛烈な社会批判と言われてて、確かにレーガン批判なんですが、いつも通りもっと単純な「気に入らねぇ」というレベルでの私的な反逆なんですよね。中指立てたラストが象徴してますね。
ただ、スパイクロッドさんのおっしゃるようにこの映画、それが逆に振れすぎてる所が危ないですよね。確かに言われてみればトラヴィスに通じますね。全体的にうっすらコメディタッチの中で、気に入らねぇ→即銃乱射という主人公のマッチョぶりは相手が宇宙人という曖昧さも手伝ってよりヤバくて、この映画をさらに面白くしてますね。
また、こんな映画撮ってくれませんかね〜。ザ・ウォードとかなんだったんでしょう?
ブッチさん、コメントありがとうございます!
カーペンターの映画って初見ではけっこういまいちな作品も多いのですけど、何度も観るうちにどんどん面白く、だんだん理解が深まってくるから不思議ですよね。ボクも子供の頃はこの作品を単なるB級SFスリラーとして消費してましたけど、いま観るとそれだけではない社会批判や、古今の映画に対するオマージュ、なんともいえない貧乏臭さが魅力になってきてるんですよね。おっしゃるとおりこの作品こそが最もカーペンターらしい作品ではないかとボクも思います。
当時のアメリカ社会、政治に対して盛大に唾を吐きかけておきながら、「あとは知ーらねぇ」と放り出しるところなんてまさに。あそこで終わるからこそ本作は面白い。たぶんあそこまで明るみになっても世界は変わらないんじゃないかと思えますもんね。だからこそカーペンターは闇雲に銃を乱射し、個人的な鬱憤を晴らしたのだと思います。
しかし最後に『ザ・ウォード』を持ってくるとは!ホントなんなんでしょうね?あんなにガッカリしたことはないかも(笑)。
ゼイリブは淀川長治さんの日曜洋画劇場で知ったな。もうこういう良作映画を紹介しようっていう番組なくなっちゃね。テレビでやってる映画って続編が出たときの宣伝とかでしかないし
今やテレビで映画見ることもなくなった
通りすがりさん、コメントありがとうございます!
ボクも同じく淀川先生の日曜洋画劇場が初体験です。あの頃はもう今では考えられないぐらい地上波で映画が放送されていましたからね。その時代にテレビで出会った作品の数々が現在のボクを形成していると言っても過言ではないので、今の子たちはそういう意味ではけっこうかわいそうですね。自分から動かないといい映画とも出会えない。